ICC「記録と表現」シンポジウム1
2003.10.10 15:12 | by TARO MATSUMURA
| communication, event
ICCで行われている「記録と表現」のシンポジウム1に参加中。まず基調講演として、金沢工業大学 場の研究所の清水博所長の「社会技術としての共創」が行われた。
人の存在そのものにフォーカスを当てる形で、現在の日本の社会を切り取る視点は面白かった。たまごの例などは、個人の社会関係をうまく表していると思う。少し抜けているな、と感じるのは、若者のカルチャーや匿名での振る舞いが存在するネット上のコミュニケーションを見ていると、果たして一人の人が持っているたまごは一つだけなのか、という点。
また普通に伺っていて面白かったのが、柳生心影流の普遍的な勝ち方に関する説明。ここから用具・道具・人を鍛錬していくプロセスを導いているという話は、興味深かった。
- 共存在
- 生きている場合も死んでいる場合も、存在
- 色々な人と一緒に生きている
- 共に存在していることをいい状態にしていくこと=共存在技術
- 生きているモノへの愛を支える技術とも言える。
- 現在は愛を失っている状態
- 環境に対する愛がまるでないのに、生きていけるのか?
- 社会技術の研究の中心的存在ではないか。
- 人間
- 一人だけでは幸せになれない。
- 家族の中で自分一人だけで幸せ、家族は不幸という状態は幸せではない。
- 家庭で言えば、家族全体が幸せ、地域の人々の幸せが必要。
- これを広げていくと、社会の人が幸せである必要がある。
- 一人だけの幸せは多くの不幸を作っている。
- 人を助ける喜びを知らない幸せは不幸と考えるべき。
- それと同様、一人だけで安全に生きることは出来るのか?
- 一人だけでは幸せになれない。
- 可能性
- 自分自身を変えることによって開いていく。
- 自分が見えていない大きな幸せをつかむにはどうするか?
- これが共存在技術の視点。
- 間合い
- 人間は間合いによって自己を変える。
- カメレオンが色を変えるのと同じ。
- 距離が近い場合は「我と汝」という人間的な関係
- 間合いがちょうど良い関係。
- 距離が遠い場合「我とそれ」という非人間的関係
- 人間と言うより、モノ的なとらえ方になる。
- 間合いが近すぎると拒絶反応が出てしまう。
- 個性が強い人は反発力が強い
- 自己のたまごモデル
- 自己はたまごの黄身で白身が場所的領域。
- キミは自己中心的領域。
- 自分の意識まで十分に掴めない部分も含める
- 間合いを考えるとき、白身の部分が重要。
- 白身がただ重なるだけでは周波数が合わないようなズレの存在
- 2つの白身が重なった状態が「我と汝」の関係
- たまごが離れていると白身が重なり合わない状態になる。
- たまごが殻に入ってしまった場合、引きこもり
- 場を考えなければ黄身だけで十分。
- 白身を含めて考えることが、我々の目標。
- 白身のはなし
- 白身が広がるかどうか、という場
- 場が温かい=白身が広がりやすい
- 場が冷たい=白身が広がりにくい。
- 黄身の距離感が同じだからといって、いつも必ず白身が共有されるとは限らない。
- 白身が広がるかどうか、という場
- 自己はたまごの黄身で白身が場所的領域。
- 人間は間合いによって自己を変える。
- 「我と汝」が存在しない社会
- 白身が重ならない、つまり気持ちが通じ合わない状態
- JRの工事ミス
- 病院の医療ミス
- 「我とそれ」という関係以上になっていないようだ。
- 間合いが失われた社会は、維持費が非常にかかる社会である。
- 問題ではなかったことが問題になる。
- コンピュータなどを介在させればモニタすることは可能だが、非常にコストがかかる。
- いじめ
- 白身が他人から叩かれている状態
- 自分の領域を作ることを拒絶される
- そうして殻の中に入ることで白身を保護する
- つまり、「我と汝」の関係を作ることが出来なくなる。
- 日本で箱の構造が少なからず発達している。
- つまり、社会の中で温かい場を作ることが出来なくなっている
- その結果、コミュニティが崩壊しているということになる。
- 家庭
- 一番小さなコミュニティの崩壊
- 家庭の中で家族が間を合わせることが出来なくなった。
- みんなが「我とそれ」という関係になってしまうことになる。
- 「我とそれ」の関係が接近している状態
- 非常に危険
- モノへの拒絶と同様
- このため家庭内暴力が発生してしまう。
- 家庭内で「我と汝」のとらえ方が出来ない人
- 人間を「それ」としてしか見られない。
- 「人間の命は尊い」という感覚を失っている原因。
- 子育て
- 母親の子育てが分からなくなってしまっている
- 人間的な間合いにおける関係で人を育てることが、子育て
- 人間として愛情を注いであげられなくなった。
- マニュアルに頼るようになってきた。
- マニュアルは、それを取り扱うためのモノ。
- このため、モノとして育てる。
- たまごの白身の部分はマニュアルには書けない。
- 場への意識
- これまでお互いの関係は、場や間合いをベースに作られてきた
- 昨今場を感じられない人が増えてきて、我とそれという関係へ。
- 職場の関係もマニュアルを元にしている。
- だんだん細かい規定が作られてくると、マニュアル通りにしか動けない
- これが日本の現状。ドイツとも類似している。
- 社会との関わり合いを持てなくなった人々が増えてしまっている。
- ドイツでの家庭の会話時間
- 平均4分。
- コミュニティの崩壊が顕著。
- 問題意識
- 日本人だけではなく、人類の問題。
- しのぎを広げる場所がない。
- 「場所なし」の弱者
- 社会やコミュニティからはじき出されているのが現状。
- 愛を待っている。
- 意義の有無にかかわらず、力の有無で決まる。
- 大学での教育
- 流行りのモノをやらないと場所がなくなる
- 未来の事をやる人がいなくなってしまっている。
- 生きていくことが難しい。
- 社会のために働く場は非常に過酷になっている。
- その中でどうやって生きていくか。
- 日本の中での重要な長期研究は誰の助けもなく消えていく。
- 「場所なし」の弱者をどのように救済するか、がテーマ。
- 竹中さんなんかは、「場所なし」の人は死になさい、という考えではないか?
- それは間違っている。
- 一人の幸福、一人の安全ではなく、弱者を救済をする必要があるのではないか。
- 税金や年金で弱者が助かる、というのも幻想。絶対ない。
- 白身が重ならない、つまり気持ちが通じ合わない状態
- 命の場
- 救済について考えるべき概念
- それぞれが命を持っている
- その中で個人が生きている。
- ご臨終の瞬間、全ての細胞が死んでいるわけではない。
- 大きな命の中で、その人が生きている。
- 自分が生きることで大きな命を支えてもいる。
- 細胞から見ると、どうなるのか?
- 場として感じているということ。
- ここにある場に影響を与えることが生きていることではないか?
- 共存在とは
- その自分の命の場の働き(共有している白身)を強めていくことではないか。
- これが救済であると言える。
- 周りの人が元気になるし自分も元気になる。
- 救済することによって、自分も救済される。
- 場所なき弱者に場所を与える。
- このような可能性が存在しているのではないか。
- 内なる自然とそとなる自然を紡ぐメディア(片井修)
- 自然という切り口から進めたい。
- 農業システム(パーマカルチャー)
- 自然農法という視点から考える。
- 植物の重層化(Plant Stacking)
- 気の高低の組み合わせが接縁効果を生む
- 科学的アプローチの否定
- 耕さない
- 肥料・農薬はやらない
- 草抜きはしない。
- 収穫は同量、もしくはやや増える手法
- ほとんどの場合作物は虫に食われ放題になる
- 商業にはならないかもしれない。
- 様々な種をまくため、時間の重層化がなされる
- 重層体としての身体
- 抽出される身体
- 解剖学的・生理学的
- 外界と内界との協会
- 快楽、苦痛、痛みを感じる
- など、13の重層化
- ツリー構造ではなく、セミラティス構造である
- 環境デザインなどでは一般的。自然的
- 「都市はツリーではない」
- 抽出される身体
- 述語的同一化
- 述語の同一性を持って主語の同一性を推論する
- 身体では様々な(矛盾をはらんだ)推論で成り立っている?
- 物語の構造化
- セラピーの世界では自己物語に注目
- 自分の物語を受け入れられない場合、解釈を曲げられたドミナントストーリーを持っている。
- セラピーではそれをオルタナティブストーリーに変えていく。
- セラピーの世界では自己物語に注目
- 物語の縦走生と共通性
- 様々なことが入り込むことによって、内と外の重層性を紡ぐ。
- 豊かな解釈の道を残している。
- ナラティブアーキテクチャ
- 自然というモノをもう一度取り戻すことが重要
- 自然が持っている重層性
- メディアとしてのメッセージ
- 空間デザインなどに重要な意味
- 不完全・弱いと言うことが力を持ったり関係を紡ぎ出すような原動力になる。
- 物語り、モノ作り(永田鎮也)
- なぜモノ作りにスポットを当てたか?
- 現代社会、様々なモノが生産されている。
- 大量生産が可能になった時期に遡る。大量生産・大量消費。
- 今までは自分が存在するために得るという振る舞いをしてきた。
- 現在、持つために存在するという時代になってしまっている。
- ここを何とか変えなければ、共存在の社会の実現は出来ない。
- モノ作りのあり方が問題ではないか。
- 現代社会、様々なモノが生産されている。
- 柳生心影流
- 戦国時代に生まれた剣の流派
- 当時は得意技の開発競争をしていた。
- 根本的な剣へのアプローチの変化
- 普遍的に勝つにはどうしたらよいかという視点
- 殺人刀
- 敵の活きを封じ込めて勝つシナリオ
- 相手の破れかぶれに対応しきれない。
- 活人剣
- 斬り合いのシナリオを創っていくアプローチ
- 自分の命を奪いたい相手にも協力をする
- 十文字勝ちの原理
- 殺人刀
- 三箇捧発に通ずる
- 敵に対峙したときに生じる「切ろうと思う心」「防ごうと思う心」「危ぶむ心」を敵に捧げると、敵の起こりが見えて、活人剣を生かせる
- これはビジネスの世界でも同じではないか?
- 普遍的に勝つにはどうしたらよいかという視点
- 今まで創られてきたモノは「用具」
- 身体の延長として創られている
- 便利にしたり、効率を高めたりするもの
- 流行がサルと廃れた製品しか作ることが出来ない。
- 用具に物語が入り込むことで「道具」となる
- モノ作りの次に事作りが入ってくる。
- 行き着くと、道具なし
- ひと作りの段階に入る。
- このループによって人間・道具が成長していく。
- この原理を考えていきたい。
- なぜモノ作りにスポットを当てたか?
- 心と心を繋ぐ共存在テクノロジ「存在の影」によるコミュニケーション(三輪敬之)
- 間の取り合い
- 対面
- 身体的な働きにより、空間・場を共有し、存在を互いに位置づける
- 沈黙を送り合うこともコミュニケーションに含まれる
- 遠隔地
- メールやビデオチャットなどでは間が取りにくい。
- 対面
- 共存在のための舞台
- 共存在というドラマを続けている状態
- どのようにドラマを円滑に進めるか、というフォーカス。
- 白身と白身(身体の働き)を統合した伝達を行うべき。
- 身体の働きを表現する、存在を送る自己のエージェントが必要
- 影の伝達
- 影=存在表現メディア
- 自分が動くと影も動く。
- 自分を位置づけることが出来る。
- 影を共有すれば、自分の空間に入り込んでくる感覚が得られる。
- 障子インターフェイス
- お互いが適切な距離を保ってコミュニケーションが出来る。
- 相手の足跡があることで、二人で足跡による絵の描画が出来る。
- 影=存在表現メディア
- 影の伝達
- 現存の通信理論
- シャノンによる
- 送り手の意味と受信側の解釈の一致がなされていない。
- 初めからコンテキストの共有への保障はない。
- 共存在の場の通信
- 影のエージェントを送り合う
- お互いの場でお互いの空間共有が実現される。
- お互いの白身を確認しながらメッセージを送り合う。
- 意味を伝え合う通信システム
- 間の取り合い
- 清水
- 4つのグループがあり、哲学グループをコーディネート。
- 哲学の分析と拡張をやろうとしているグループ
- シャノンが情報技術の基礎を50年以上前に創った
- しかしこれを超えられる技術が出てきていない。
- 「意味を取り扱えない、過渡的な情報理論である」
- 影の通信は、意味通信が可能な、初めての具体例ではないか?
- 持つための社会に活きてきて、目的が存在している。
- 人より早く目的を達成できるか?
- これはゲームの理論で動いている。
- 本来人間は人生を活きるために生まれてきている。
- これはゲームではなく、ドラマである。
- ドラマは継続性が重要。必ず「我と汝」という意味で進む。
- ドラマの発展は非連続の連続による。
- ドラマの連続性は非連続が繋がっているのではないか。
- 至る所に切れ目が入って開かれている。
- 至る所に出会いが発生してもいい。
- そうやってドラマの中に人が入り込んでくる。
- これが一番楽しく、発展するドラマ。
- ドラマが始まるようなコミュニケーションを創ること
- モノ作りも非連続の連続ではないか?
- 電気洗濯機に愛情を持てるか? そうではないはず。
- 自分が使いたいという目的と自分が連続しているから。
- 他のモノが入り込む予知がない。
- ライカ
- 創った人の存在を感じられるモノ。
- 自分と写真を撮影する行動の間に、たくさんの他者が介在している。
- モダンなカメラは非連続が介在しないように創られた便利なもの。
- 便利なモノが喜びを与えるとは限らない。
- 強いか弱いか。弱いものだと思われる。
- 電気洗濯機に愛情を持てるか? そうではないはず。
- 弱者のすばらしさ
- 非連続が介在している
- 飛躍が始まるのではないかという、我々のドラマの作り方次第。
- 「場所なし」の問題から押し開く未来への努力をしている。
- ドラマの拠点を創っていく
- アートの力が必要である。
- 出会いと創出。
- 理解したら、動く。
- インターネットの中で本を創る
- 家庭哲学という本を作ってみてはどうか。
- 悩んだとき、どう考えたらよいかという事が書いてある本
- 自分が弱者に回ったときに支えてもらいたい
- 自分が余裕を持っているとき、弱い人を支えてあげる
- みんなが自分のページを持って、経験を記録していく
- それを共有することで他者を勇気づける
- 聴いてもらうことによって安心するという場
- 家庭哲学という本を作ってみてはどうか。
- 4つのグループがあり、哲学グループをコーディネート。
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