素直に感動した。かつての日本人であった侍像を、綺麗な景色と綺麗な情景で描き続けている。
比較しながら表現していくのもアメリカの映画っぽいけれど、嫌らしくなく鮮やかだった。まだ心身共に侍であり続ける日本人と、その心を忘れたか(江戸時代に武士ではなくて)初めから持ち合わせていなかった、そして西洋を迎合する格好になっている官僚とのコントラストが、話が日本に移るところからの伏線として敷かれ、最後の戦場で一気に噴出してくる。
しかし僕が思うに、やはり話の主題はトム・クルーズ扮するネイサン・オールグレンの心の闇が消えていく事なのだ。あくまで侍の心はそのための触媒。もちろん侍の心に触れることで消えるので、完全にサイドディッシュというわけではないんだけれど。だからこそアメリカで公開されても、それなりに評価されてくるのではないかと思った。完全に日本の心をテーマにしていたら、3時間弱のこの映画は辛いだろうなあ。
日本をテーマにする映画にありがちな“日本の変な、あるいは間違った描き方”も全くなく、必要な部分を効果的に描いている。それだけにこの映画の巧さというモノが、さらに大きく感じられた。
これが、見た直後の感想。
しかし少しその感動から冷めてくると、今度は怒りにも近いもどかしさがこみ上げてくる。何でこれが日本で生まれる作品ではなかったのか。キャストもロケも日本で多く行われているけれど、制作は日本人ではない。そして日本人が感動している。これは混乱するしかない。
侍の心というモノを真っ正面から描くことが難しいのか、あるいは比較させながら表現するテクニック的なモノが勝っているのか、ただ単に日本人が自国に宿っている精神のようなモノを忘れてしまっているだけか。文化論、メディアリテラシー、精神論とあるが、勢いとして、精神論の部分が効いてきているのではないか、とさえ思わされる。
素直に感動した、しかし耳の痛い映画でもあった。
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松 村 太 郎