Keitai vs JPN Yen, Broadcasting
2004.11.30 15:54 JST - KEITAI12 - SYNDICATE (design keitai)
ケータイラボで行われたケータイ社会をテーマとしたセッションのログ第3弾。議論は後半へ突入し、会場からの鋭い質問が飛んできて、さらに盛り上がった。会場とのインタラクションも行われた。質問としては「FeliCaケータイなどで決済系をも飲み込もうとしているケータイが、660兆と言われている個人決済のパイをどう取っていくのか? そしてずっと指摘されていてなかなか動きを見ない放送と通信の融合についてのビジョンはどうなるか?」「個人がアクターとなって放送するようなスタイルの可能性は?」。
電子通貨の敵は日本銀行券
「恐らく個人決済の660兆円というモノには住宅を買ったり車を買ったりするような金額も含まれているが、ケータイで車を買うようにはならないと思う。ケータイが相手にできる少額決済は40〜50億円規模ではないかと考えている。また日本ではカードがあまり普及していないため、チャンスだ。FeliCaが扱う電子通貨の敵は日本銀行券だと思っている」(榎)
この発言に会場はものすごく沸いた。FeliCa上に載っているEdyやSuicaが日本銀行券との兌換をやめたら、あるいはヨドバシカメラやビックカメラのポイントが、それぞれ円との独自のレートを持ってそれが変動し始めたら。様々なことが、非常に大きく変わっていく可能性を秘めており、興味深い意見だった。
放送とケータイ
「地上波デジタルのテレビやラジオは、その視聴機会としてのケータイを常に狙っているが、現状ではキャリアの儲けには全くならない。欲しい人のために特別な端末として出すのか、汎用にするのかは考えるべきだが、それをやるメリットがなければやらなくてもいい話だ。DoCoMoは以前、カメラつきケータイでJ-PHONEと1勝1敗している。ケータイにカメラをつけても始めの1週間以降は写真を送らない、ケータイはトラフィックビジネスだから儲からない、としてDoCoMoはカメラ付きケータイを出さなかった。ところがカメラが載っているからJ-PHONEのケータイが売れた。テレビでも同じ事が起きる可能性はないわけではない」(榎)
「現在は手探りの状況だと思う。現在の放送のモデルがあまりに強く確立されていて、キャリアにとって魅力がないのは理解できる。しかし決済や放送はユーザーサイドからは魅力ではないか。ビジネスモデルに繋がりきっていない点が産みの苦しみだが、そこはぜひ突破したいところだ。テレビの画面のコマーシャルを見ながらi-modeという形で、丹間繋いでの障壁を崩してあげたらいいのではないか?」(国領)
「音や映像を売って利益を得るモデル、と言うのはある。しかしケータイにテレビが載ることは有効なのだろうか。ソニーの出井さんはテレビとパソコンの違いは姿勢の違いだ、と言う面白い指摘をしている。テレビは後ろ15度、パソコンは前15度だ。ケータイも前15度だと思う。だとすれば、今までの形での放送はケータイとは合わないのではないか」(榎)
「私もケータイでテレビはないと思っている。ながら視聴というスタイルが重要な訳で、今までの放送とケータイが上手く絡むとしたら、自宅の画像サーバの、外部からの情報を受信することが可能なリモコンとして、ケータイを使うというスタイルが現実的ではないか」(加藤)
時間のニッチマーケット
「ケータイというのは時間のニッチのマーケットだ。電車内でのケータイ利用は、今までスポーツ新聞や雑誌が持っていたマーケットであり、本音を言えば、これをテレビに取られたくない、と言う感覚を持っている」(榎)
「ケータイはマイクロな暇つぶしの時間帯に、何かとパラレルでやってしまう」(国領)
「パラレルで細かい、というのはケータイの楽しみ。趣向品としてのケータイと我々が考えているようなスタイルのテレビ番組は結びつかない。しかし一方でケータイ向けのコンテンツはものすごく伸びる可能性がある。ケータイでそのままテレビ、映画という事にはならない」(伊藤)
「ケータイに搭載されているメモリカードのminiSDと、デジタルカメラなどで使われるSDカードは販売量がほぼ同じになってきた。ケータイにダウンロードしたモノをメモリカードに残す、というスタイルが一般的になってきている証拠ではないか。そう言う映像の使い方、扱い方はあるのではないか」(榎)
「そう思う。テレビ会社が今までのテレビをそのままケータイで見せようと言うのはムリだ。逆にケータイキャリアがテレビを乗っ取るくらいのインパクトによって新しいスタイルが作り出されるかもしれない」(国領)
放送もケータイが飲み込むか?
「私としては、放送事業を、通信と放送の融合という視点からやってみたい、と言う意識はある。」(榎)
「家族でお茶の間でテレビを見るなんて言う虚構は、もはやない。リアルタイムじゃないからこそ、実はalways-on的な感覚を持ち続けられるのかもしれない」(国領)
「ムービングピクチャーズ、リアリティTVといった、好きなときに見られるコンテンツ、好きなモノを見られるコンテンツがアメリカでは流行ってきている」(伊藤)
「ケータイにテレビはなしだ、というのは現在の放送がそのままではあり得ないという意味だが、ビューワーとしてのケータイの役割は、当然持っているモノだと考えている。そのようなコンテンツをどのように提供するかがポイントだ」(加藤)
個人がアクターとなる放送スタイル
「例えば、5分のコンテンツなどは、ケータイのムービーで気軽に作ることができる」(加藤)
「i-modeがそうであるように、プルタイプのコンテンツが出てくるはずだ。そこにはどんどんビジュアルが加わってくる」(伊藤)
「仕組みとしては既にFOMAで実現されているし、パケホーダイもある。映像を送る、見るというコミュニケーションを作り出すことで、表現欲求をかなえるようなやりとりが行われるようになると考えている」(榎)
「ケータイの中でこれまでの放送とこれからの表現が共存するという可能性は面白い。ながら視聴の環境の中で、テレビの放送とインターネットの掲示板がリンクして時間が進んでいく上興がる。その新しいメディアをどう演出するかだと思う」(国領)
まとめ
「ビジネスは大切だが、それを見据えてのケータイ像は捕らえられていないと思われる。今日面白かったのはユーザーの時間を奪う、他のメディアを食う、と言う感覚。スポーツ新聞が敵だったというのは面白い」(加藤)
「隙間こそがメインストリーム、というケータイの姿は、やはり興味深かった。ケータイが隙間をたくさん作るツールだからなのか、生活の中に隙間がたくさんあるからなのか。そこのニーズに的確に応えているというのは、ビジネス的に大きいと思う。一方で、あまりにその可能性が大きいため、現在では使命をに担わせすぎている。潜在的なモノは大きい、必ず革新が起きると思う」(国領)
「今の日本のケータイ利用はボイス、テキストが主体だったが、ビジュアルがこれからもっと入ってくる。ビジュアルなモノがP2Pの動きと隙間に入ってくるのは大きな変化だ。ビジュアルP2Pのコミュニケーションのフィールドで革命が起きたら面白いのではないか」(伊藤)
「ケータイの陰の部分、迷惑メールや子供の誘拐、未成年のアクセスの問題や、ユニバーサルデザインへの対応など、これから社会に対して恩返しとしてやるべき事がたくさんある。また一方でケータイの周りにはビジネスチャンスがある。潜在的な可能性や新しいサービスをやってもらうように支援したい」(榎)
「ケータイ社会とは何か。「SmartMobs」という本があったが、この言葉は1950年代の「Lonely Cloud」以来のインパクトある言葉ではないかと思った。ネットとケータイを手に入れたとき、どのような豊かさをもたらしてくれるのか。そこを射程に入れてケータイを語ると、そのすごさが分かるのではないか」(熊坂)
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松 村 太 郎