社会インフラとしての可能性
2004.11.23 12:00 JST - KEITAI12 (discussion keitai)
今回の12の論点で展開する最初の議論はケータイの社会インフラとしての可能性について。ケータイのポジショニングを考える際、既存の枠組みとの衝突が目立ってきている。それはなぜなのか? Amazon Scan Searchから消費者の購買行動を例にして、12の論点の導入として議論をしました。
既存の仕組みとの比較として、昨日のニュースで出てきたAmazonスキャンサーチの話題が語られた。これまでの店頭での購買行動は、お店の陳列や店員のレコメンドなどのコミュニケーションを元にして、規定されてきた。しかしAmazonスキャンサーチはケータイ電話の上で、ユーザーが購入する際に参考にするレビューへと導き、さらにそこでの購入を可能にしている。これは既存の店舗にとって脅威ではないのだろうか。
天笠
例えばこの例の場合、ユーザー間の横のつながりを作るという意味では新しい動きになっているが、今まで通りの購買活動をしていく限りは、あくまで参考にすることができる情報が増えるだけであって、行動に直接結びつくことはないのではないか。消費意識の高いユーザーは既にネットを駆使しての購買行動をしているが、全員がしているわけではなく、多くは直接的なコミュニケーションによって買っているのではないか。
松村
僕らの視点として、ケータイというツールはそういった消費意識が高いわけではない人にも普及している。今直接的なコミュニケーションでの購入活動をしている彼らが、例え知らず知らずのうちにだとしても、ケータイによって消費意識の高い人たちと同じような購買行動に移っていく可能性というのはあるかもしれない。
天笠
確かに。そう言う意味ではケータイはものすごく平等なメディアだ。ものすごく平等主義的なものがある。その平等主義的な側面というのは、生活メディアとしての位置付けによって与えられているように思われる。「生活メディア」というのは生活インフラの1つで、当然電話やテレビ・ラジオなどの既存のメディアも含まれている。
松村
生活メディアの仲間入りをしたケータイが、やはりこれまでの生活メディアと違う概念を持っていると思う。特にマスメディアは同じ情報を多くの人に送り届けるという役割を担っているが、ケータイの場合は個人から個人へのコミュニケーションとして使われている。
天笠
これまでの電話も含めた既存の生活メディアは全て、社会的な単位間・枠組み間での情報のやりとりだったし、インターネットも同じだったかもしれない。ところがケータイはそう言う単位ではないコミュニケーションを作っていると捉えれば、これまでの生活メディアとは明らかに違う結果が出てくるのではないか。
松村
これからの議論の方向性として、ケータイそのものが社会的インフラとしてのポジションを獲得していくプロセスについて、そしてどのように活用していくことができる中、と言う可能性について、深めていこうと思う。
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松 村 太 郎