管理するユビキタス、自由なモバイル
2004.11.23 18:18 JST - KEITAI12 (discussion keitai)
ユビキタスは情報タグなのか? コンピュータの偏在する環境を意味するユビキタスの解釈が今揺れ始めている。そもそも身近ではなくとてもわかりにくい概念であることは確かなのだが、果たしてそれが原因で理解が進まないのだろうか。一方で着実に普及しているモバイルはユビキタスとどう関係するのか。
松村
やっぱり釈然としないのがユビキタスという言葉。端末が自律分散的に情報を処理している環境だと言われるが、今行われている物事はどうしても中央集権的な側面が強い。もしかしたらあえて分散することの意味合いを見いだせていないのではないか、とすら思えてくる。
天笠
現状で言うと、ユビキタスの方がコストがかかるような気がする。だからこそその経済効果をにらんでユビキタスと言っている側面はある。
松村
人が全員無防備に見えるのが今回のORFだと思う。全員がタグを首から提げているのはまるで動物園のペンギンみたいで、どうしても異様に映ってしまう。
天笠
アブナイモノは表に出す、と言うアメリカ的な感覚もしないでもない。
水島
個人情報にもパブリックなモノやプライベートなモノがある。例えば位置情報でも、棲み分けができるかどうかが気になる。果たしてセンサーネットワークの世界において、カーテンを閉めるような事ができるかどうか。今のユビキタスには、どうもその点できなさそうで気になる。
天笠
技術オリエンテッドで作られたモノとそれ以外が作ったモノにはとても違いがあると思っている。ネット文化とケータイ文化、ユビキタスとモバイルなどは対照的ではないか。
水島
セマンティックウェブというのはその点で興味深い。技術的には長く開発され突き詰められてきたが、blogというツールによってその一端がブレイクした。利用者側のニーズに即した表出を見たのではないかと思う。
松村
その視点で考えると、何かを生むモノと言うよりは、何らかの実現のために使われる技術という感じもしてくる。例えばモバイルとユビキタスの妥協点みたいなモノは今何か現れてきていないだろうか?
水島
それがお財布ケータイだと思う。あれはモバイルとユビキタスの融合形態ではないだろうか。レジの端末を見れば、ネットに繋がっているし、そこにケータイでタッチすることによって決済がなされている。今までFeliCaカード、ある意味でのタグのようなカードで実現されてきたものが、ケータイに入ってしまって融合した。
松村
そう考えると、モバイルはユビキタス化されていく社会の中で、リモコン的な役回りを演じることになるのかもしれない。あるいはもっと言うと、モバイルがユビキタスサービスに対応していくことによって、ユビキタスが人々へ浸透していくという感覚を持っていて良いのではないかと思う。
天笠
ユビキタスはユニバーサルに行われようとしている。世界で1つの点が意味を持つようになるのは限られた状況。モバイルは自分が意味付けした点しか存在しないが、ユビキタスでは人が意識しない点でも存在させてしまう。しかしそれは必要ないんじゃないかとおもう。
水島
ユビキタスの本質はセンサーではなく、意味を与えようとする行為は意味を受け取ろうとしない人には伝わらない。ユビキタスはそう言う意味ではパッシブかもしれないし、ニーズは薄いんじゃないか。
松村
しかし強力に推進されようとしているユビキタスによって、人はどう変わっていくのか考えてみたい。情報技術の発達はイメージがしにくい。ケータイも、企業が想定する使い方とは違う発展の系譜をたどった面がある。
水島
予想通りの実現ができているのはインターネットかもしれない。プレゼンスなどのメタコミュニケーションというのはあるんじゃないかと思うが、やはり何を買えばユビキタスができるのか、というものがよく分からない。ケータイは端末を買えば使えるがそう言う象徴的なモノはまだ見あたらないように思う。
天笠
ユーザーが意識して使うモノではないかもしれないが、やはりネットワークの外部性のような形で意識させることも必要ではないか。ユビキタス系に繋がっている端末が多くなればなるほど、その人にとっての「ローカルエリアネットワークの外部性」が生まれてくる。そうやってちょっとずつ意識していくのではないか。
水島
確かに意識していくことで普及・浸透していくことが考えられる一方で、どうしてもモルモットになっている感じが否めない。ユーザーオリエンテッドなシステムというのは思いつきにくい。柔軟性が確保できるほどは技術がいっていない。
天笠
おそらく柔軟性が確保されないのは、こんな理由があるからだと思う。ユビキタスで刃物に意味を与えるという行為がなされているが、それはコードがやること、もう1歩掘り下げると、コードを書く人がやっていたわけでその人が神になることになる。今の個人の自由とはそぐわない可能性がある。
松村
まんべんなく、ある程度の柔軟的な運用をすることができるモバイルは自由なメディアかもしれない。もちろんいくつかのキャリアに管理されているという事実はあるが、ユビキタスほど管理社会的な感覚が見えないのはカスタマイズ性が確保されているからだと思う。
天笠
管理国家にはユビキタスは素直にフィットしていくと思う。環境が知的になると言うのは環境に見られていると言うことを意識することに繋がっていると思う。例えば今回のORFであれば、会場の人を把握している感じになってる。革命という言葉は既存の権力構造に変わって新しい権力構造を作ってしまうが、ユビキタスはその新しい権力構造を作り出そうとしている気がする。
松村
個人のパワーを上げる装置としてユビキタスのコントローラーを、自由なメディア、ケータイに残しておくべきじゃないか。もしくはユビキタスでできることをケータイにリプレイスしていくべきじゃないか。
天笠
ケータイは現状、スーパーパワーになっている。様々なモノを飲み込んできた。そう言う意味ではユビキタスのメッセージを持ったモノも吸い込んでいくはずだと思う。それが自由なモバイルの道であると思う。
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松 村 太 郎