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放送と通信のカタチ

2004.11.24 13:29 JST - ( )

 ケータイラボのセッションでも話題に上がってきた放送と通信の関係性。ディスカッションの中では、テレビやラジオなどの放送は皆ケータイの画面を狙っているが、キャリア側はビジネスモデルがなければ放送を入れるコストは払えないと発言していた。ケータイの視点から放送と通信を切り取ってみた。



松村
 コンテンツのカタチが変わらないとケータイにコンテンツが載らないのではないか、という議論に僕は同意したいと思っている。一方で放送というと、今まで人々はテレビに慣れすぎていて、コンテンツのカタチやルールがこれまでとは違うコンテンツというのは浸透するのが難しい。既存の価値観の上で見る側の満足をキチンと作り出すには、もちろん表面上の話とはいえ、わかりやすいだけに大きな問題だ。

天笠
 一方で僕はケータイと放送の親和性はあると思っている。今までの放送で目指していたモノがケータイに載るのではないか。電波を使って人々に放送しているをしているモノは話題だと思う。話題をある程度のマスに提供仕組みとして残っていくと思う。もしそうではないやり方をしなければならないなら、今の社会システムの抜本的な変革になり、それは緩やかに起きていくモノだと思う。

松村
 だとすれば、新しい価値観を少しずつ作っていくことになるのではないか。Blogなどの情報発信がネットの上で実現されているが、結局は新たな権威を付けてしまうだけになっていると思う。自分のblogの経験からしてもそうだ。ケータイがニッチなコンテンツを見るビューワーとしての役割や価値観を作り出すことができるのか。

天笠
 ニッチ分野にはニーズがあると思う。しかし本当に社会システムがマスメディアを捨てることができるか、と言われると、そんなことはないと思う。個人による情報発信が増えてきても、ページランクのようなヒエラルキが新たに生まれ、その上位にいる人以外の声が届きにくくなる。マスメディア的な構造や昨日が自然発生してきている。

松村
 個人が発信する情報がマス向けに編集されれば、それもマスメディアが生まれてくるが、それは肯定して良いのではないかと思う。ローカルなメディアの可能性をケータイで問い直すことができ、地域性だけではなくその他のコンテクストによるローカルもある。

天笠
 例えば熊本の市民テレビ局は比較的うまくいっている。編集が社会的背景によってなされている。そういう小さなマスメディア、人が持っているコンテクストに基づいた小さなマスメディアが出てきている。以前の議論でケータイはローカルなメディアであるという話が出てきたが、そう言った地域性ある情報はケータイに載せやすい。小さなモノが小さなメディアに報われる環境を作り出すのがケータイが作るマスメディアだといえる。

松村
 そこで枠組み的な部分を考えると、ケータイキャリアがやる場合に、ローカルメディアであれば放送の電波ではなくケータイキャリアの電波を使うことになるのではないか。そちらの方が合理的。しかしこれまでのインフラではなく、無線LANのようなホットスポット・ホットエリア的な電波でローカルにリッチなコンテンツを配信するようなカタチが、技術投資の面やコンテンツ作成の面でも現実味があると思う。

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