先日原宿を歩いていたら、小さな女の子とそのお母さんが歩いていた。竹下通りともなれば、道幅が狭くてヒトが密集して歩いているので、否応なしに会話は耳に入ってくる。微笑ましい母このやりとりそうだったので特に会話の内容にまでは注意しないで歩いていたら、女の子の口から妙なフレーズが出てきた。
「幼稚園でお砂遊びしてたら雨降って来ちゃったの泣き顔。」
これをふわっと街中で聞いたら、引っかかりますよね、「泣き顔」って部分に。その後も「雨」「涙」「お日様」「にこにこ」といった言葉を文章の最後つけて喋っていて、そのこどもと平然と話をしているお母さんは、竹下通りを神宮前交差点の方向へ曲がっていった。
僕はそのままKDDIデザイニングセンターの路地を入っていったんだけれど、突然聞いてちょっとびっくりしてしまって、どういう事なのだろう、といくつかの会話パターンをもやもやしながら考えていた。ただ、こうやって文章にして書いてみると、割と単純な話であることに気づかされる。
こどもが口に出して喋っていたのは、ケータイのメールなどで使われるある種の文法の基本みたいなモノ、つまり句読点を文脈に沿った(もしくは自分のトレードマークみたいな)絵文字に置き換えていく文法を、そのまま読んでいるのだ、と分かる。微妙なニュアンスや表情を文章に織り込むことが出来る絵文字によるデコレーションを、自分の会話に採り入れているのだ。
だからといって女の子の声のトーンは、ケータイの画面に出てくる文字のような、決して平坦なモノではなかった(もちろん最近はデコメールも普及してきて、メールの文字列が平坦、と言うわけではないけれども)。表情だってちゃんと会話と連動していたんじゃないだろうか。けれども、「泣き顔」「涙」は文末につけていくのである。
いったい何が起きているのだろうか。
ケータイメールが普及した頃は、書き言葉が話し言葉に接近した瞬間を目の当たりにしていた。しかし今回の場合は、ケータイメールがはじめからある世代について、話し言葉が書き言葉に接近しく瞬間に出会ったような衝撃を受けたのだ。
言葉は生き物なのでそれで良いし、書き言葉、話し言葉という区別が今後適当かどうかは分からない。どのような媒体・メディアが扱われているかで、中の情報・コンテンツのカタチが変わるし、使われ方や流通の仕方が変わるのだなという事を、ちょっとしたきっかけで思い起こされた瞬間でもあった。
今後もメディアやコンテンツ、カルチャーの変化について、ケータイという切り口でのアンテナを張っていきたいと思っている。
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松 村 太 郎
TARO MATSUMURA
UPPERWESTSTUDIO
慶應義塾大学SFC研究所 上席所員(訪問)
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