先日、博報堂大学(別に法人格を取っているわけではなく、社内的な教育機関だそうです)の和波さんとお話しする機会があった。ライフスタイル研究などを手がけた経験について興味深いお話を伺うことが出来たと同時に、トーキョーに関するプロジェクトをライフワークとされている一面もあり、大変貴重な出会いとディスカッションの時間を持つことが出来た。しかも、5時間近くぶっ続けで。その中で、「地球環境問題について、どう対処したらいいと思う?」という問いかけがあった。
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僕は元々気象に興味があって、ちょっと調べたりしていることもあるので、地球環境問題、特に温暖化問題に関して言えば、「地球は思ったよりタフで、人間が適応できなくなることが地球温暖化問題の本質である」と考えている。だから地球温暖化問題は、人が何をするときにも頭の片隅に考えていなければならない問題であり、なにより「自分の問題」としてイメージする必要がある話なのだ。
これは、和波さんとのディスカッションの中で「共生の強制である」という言葉で象徴されるように、自分の問題をもっとマクロにとらえて、ミクロな悪とをする必要がある、と言うか共生されなければ解決されない問題である、ということをよく象徴しているのではないか、と思うのだ。とはいえ、これは理想の話であって、意識改革をダイレクトにすることが難しい、と言うジレンマを抱えているのだ。
僕は、地球のことは、地球の流儀で考えるべきだ、と思っている。
例えばバタフライ効果。これはエドワード・ローレンツが1972年に「ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか」というタイトルで論文を発表したが、ちょっとした初期値の変化が大きな擾乱を招く、という例え話である。地球のミクロ・マクロのシステムの中で、小さな変化がシステムによって増幅され(あるいはかき消されることもあるけれど)、大きな結果を招くというカオス理論を象徴するのだが、「地球の流儀で」というのは、この理解するには難しい混沌としたことを、受け入れるべきだ、という意味である。
例えば僕1人が、省エネのためにこまめに電気のスイッチを切ることだったり、エアコンの設定温度を高めることであったり、自分の家の前に打ち水をすることだったりが当てはまるはずである。とはいえ、これらを行うことには実感がない。「自分一人がやったとしても、他の人がやらなければ意味がない」と誰もが思うことも承知している。しかし地球の流儀の上では、例え僕一人の小さな初期値の変化も、大きな結果を引き起こす可能性を秘めている。バタフライ効果は、一人一人の行動に対して勇気を与える役割すらあると思う。
とは言ってもね、と言う話だ。バタフライ効果だけでは弱いのもまた事実だ。そこで思い出されるのが、actfaceのイベントでの猪子さんの話である。目的以上に作法をトレースすることが楽しくなってしまうという、日本のインターフェイスデザインを利用してはどうだろうか、と言うことだ。よくジレンマの把握と解決にゲーム理論が使われたりするが、意識改革をあきらめて、ゲーム性でECOしてしまう方法を模索することは、不毛な努力ではないように思うのだ。
例えば、自動車の瞬間燃費(km/L)が表示されると、いかに瞬間燃費で高い数字をたたき出すかを意識しながら運転するようになるじゃないですか。これみたいに、自分の今の行動が、瞬間的に地球(もしくはトーキョーの)現在の気温だったり10年後の平均気温を何℃下げている、というものが分かったりしたら、それが1日蓄積されて、「あなたは今日、何℃下げることに貢献しました」なんてサマリーが出たりしたら、ちょっと楽しくなってくるんじゃないだろうか。
TAROSITE.NETは1997年にスタートした松村太郎のウェブサイトです。コラムやニュースクリップなどの情報発信と、様々なコラボレーションの場として、10周年を迎えました。
松 村 太 郎
TARO MATSUMURA
UPPERWESTSTUDIO
慶應義塾大学SFC研究所 上席所員(訪問)
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