2007.08.08 22:57 JST - COLUMN - netnomad.jp (idea kotoba nomad)
NETNOMADに対する弱気と気付き
本日、NETNOMAD.jpのウェブサイトをリファインしました。ちょっとワケあって、アクセントカラーを緑色にして、心機一転、リスタートというわけです。ちなみにここ数ヶ月、NETNOMADに対して弱気になっていたため、モロモロ停滞して時間が立ってしまったことをここでお詫びしておきます。やはり僕は書くことで自分の道を切り開いてきたので、NETNOMADに関しても書くことによって解決していこうと思っています。
まず、弱気の理由の1つは、果たしてNETNOMADというスキームに、他人を巻き込んで良いか? ということである。もちろん無理矢理NETNOMADを自覚してもらおうとは思っていないが、(発信もままならいにもかかわらず)NETNOMADという考え方にもし賛同してもらったとき、それは世の人の役に立つのだろうか? というところについて、弱気になったのだ。身近な人だったり、この意見を一緒に考えてくれている人たちが、NETNOMADを自認して路頭に迷うようなことがあってはならないな、と。取り越し苦労かもしれないけれど、そのくらい世の中に広めたいとも、同時に思っているのだ。
理由のもう1つは、僕の経験不足から来るモノである。僕の性格がミーハー気質と言うことも自覚しているし、そのお陰で色々な気付きだったり経験をさせて頂いている部分も当然ある。そこは感謝して止まないのであるが、どこか、突き抜けないでいるような部分もまた、一方で存在しているのだ。その最大の理由は、僕のアイディアについて、実証性が弱いことだ、と友人からの指摘があったし、僕も自覚している部分がある。これは経験という時間が解決する問題かもしれないが、果たして、その時間を待たなければNETNOMADの概念構築も進まないのだろうか?
この2つが、停滞の大きな理由である。もう少し楽観的に取り組んだ方が良い、と言うことも付け加えておきたいと思います。さて。
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http://upwest.org/mt/mt-tb.cgi/8266 - [2007年8月15日 12:56] フリーランス以外はNOAMD対象外か?(TAROSITE.NET) - 先日のエントリーで、「NET... - read more
- [2007年8月 9日 00:39] 加藤康祐 -
何でも屋は何もできないのと同じこと、
というのは学生時代に広告代理店の人に言われた、
痛烈な一言でした。何屋というのは大事です。
ただ必ずしもそうとは言い切れない部分もあります。
便利屋はいつの時代も必要なので。松村君のケースは書いて書いて書いて書き尽くす、
ということが変にビジネススキームで実証する、
ということより重要な気がします。書いて書いて書いて、
これ以上、書き様がないくらい書きまくって、
出てくるものがあると思いますよ。
ターゲットを決めなければならない
まず1つめの理由に対しての答えはこうだ。「ターゲットをキチンと決めなければならない」ということ。当面、ターゲットは「フリーランスワーカー、もしくはフリーランスを目指す学生・社会人」としておきたいと思う。
今までは、ネットに長けた全ての人がターゲットではないか、と勘違いしていた。これによって生まれた僕の不安をより極端に言い換えると、高校や大学を卒業して、あるいはいきなりポンと会社を辞めて「今日からNOMADです」と言った人が、世の中を幸せに渡っていけることが、果たして有り得るあろうか? ないよな、ということだ。その人達がNETNOMADになったから、何とかしてよ、と言われても、僕はきっとどうすることも出来ないんじゃないか、と思う。
NETNOMAD予備軍は、就職以外の選択肢を自分で作れるか? が問われているのである。それはすなわち、自分もしくは自分の能力という商品を開発することが必要なのだ。NETNOMADにこれが関わる理由は、商品開発をネットやウェブがAmplifierしてくれるという考え方の元に立っているからである。企業にいれば、確かに企業がAmpとなって、組織の中で自分の役割、能力が開発されていく。ここから独立するのも1つの手だ。
もし組織に属さずに商品開発をしていくとしたら、修行が必要だ。
例えば僕は、今年まで、ネットに10年間文字を書き続けてきた。10年である。文字を書くことが好きか?と言われたら好きだし、新しいことを追いかけることもまた好きだ。しかし好きだからと言って、10年続けられることが、果たしてあるだろうか。そして好きだからと言って、始めからそれを仕事にすることは出来ないのは当然のことだ。
僕の場合は、ウェブ上にBlogを作り、コミュニケーションを取ることで、憧れの人に出会ったり、良い師匠に巡り会って修行が進み、現在に至っているわけである。そのきっかけはネットからスタートするコミュニケーションであったわけだ。
このあたりが、ターゲット像を決めていくのかもしれない。
・ヒトと関係が作れる
・ネットにアレルギーがない
・強烈に好きなモノがある
・好きなモノへの技術・知識を探求する
・問題意識を持ち、解決へのアクトを厭わない
これを揃えた上で、いよいよ自分という商品企画、商品開発(すなわち自己表現のフィールド)へ移行していくのである。もちろん、ターゲット像に当てはまるためのアシストはしていきたいし、その手法もまたソフィスティケイトしていきたいと考えている。
時代背景を考える: インスタントな世代からの脱却
弱気の2つめの理由、僕がまだ若いと言うことに関して、時間による解決をしたくない、というのは僕の意思表示である。しかしもう少し、僕が置かれている環境についての考え方を示した方が良い。
昨今のことを考えてみると、世の中は高度に複雑化しており、余地が狭まっている。
一方で社会は格差が拡大しつつある一方で、NEETでも親が何とかしてくれる家庭もあるという、世代の余裕のようなモノすら生まれてしまっている。嫌なことはやらなくて良いし、人と接することなく生活できる世代でもあるのだ。人と接するということは価値を生み出したり受け渡したりする瞬間であるが、それがなくても良い、と言われるとぞっとする。
また格差の拡大の原因もまた、複雑化する社会が理由だ。人柄や頑張りといったもので、例えば地域商店の商売が成立してきた時代は終わってしまった。他者、他社との差別化がとても難しくなっているのは事実であり、そこに来て僕らはゆとり教育以前の平均化された教育を受けてきた世代でもある。情報が圧倒的に不足していると、その差別化することが弱くなったり、差別化そのものが叶わない。
一方で嫌なことはしなくて良いということは、何かに向かって努力をしたりすることもない。10年も何かを続けたりしないと言うことだ。目の前で完結するモノに囲まれている、インスタントな世代が形成されている。
そこで、「自分は何屋である」という自覚を持つ必要がある。
「何屋」という言葉は、僕の大学・大学院の担当教授であった小檜山賢二先生の言葉でもある。特に小檜山先生の場合は虫の趣味の世界での話で、蝶を追いかける人は「蝶屋」などと言うそうだ。これらは昆虫の趣味の世界の中でのプロフェッションをアピールするモノであり、○○のことはこの人に聞こう、となるのだそうだ。これはNETNOMADにとっても重要なファクトであると考える。
つまり自分は何屋なのか?という自覚を持って、そこに対するプロフェッションを追求していくことが出来るかどうかが問われているのだ。多くの場合、組織の中でプロフェッショナルを磨くことになるが、それが企業の仕組みや業態にヒモ付いたモノであると、汎用性が効かない家業になってしまう。例えばコンサルティング会社は、汎用性あるプロを生み出すエンジンだ、とはワトソンワイヤットの淡輪社長の言葉である。汎用性がある分、強烈な興味を持った瞬間のパワフルさが顕著に表れるのである。
この「何屋の自覚」をいかにNETやWebがアシストしてくれるか? ということを考え、あるいはその事例を集めることが、実証性を担保しつつ、新たな事例作りへと繋がるのではないか、と考えている。このあたりをキチンと取り組んでいくことで、2つめの弱気も解消されるのではないだろうか。
時代背景の話の最後に、博報堂大学の和波さんとのディスカッションで心に残ったキーワードを紹介する。それは「強制から共生の時代へ」というものだ。これの意味を考えながら、今日はビールを飲んで夕涼みをしようと思う。
TAROSITE.NETは1997年にスタートした松村太郎のウェブサイトです。コラムやニュースクリップなどの情報発信と、様々なコラボレーションの場として、10周年を迎えました。
松 村 太 郎
TARO MATSUMURA
UPPERWESTSTUDIO
慶應義塾大学SFC研究所 上席所員(訪問)
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