2007.09.06 16:19 JST - -

「2周目」という考え方、アイディアの放牧

 昨日新宿のレストランでバッタリ会った友人を、土砂降りの中クルマで送りながら話していたことは、テクノロジの仕事に従事する中で、出尽くした感を感じたことがあるか? という話題だった。一致して、それはない、という認識だったし、もし出尽くし感を感じていたら、今自分がしていることは自虐的なことだ。しかし出尽くし感は存在しない可能性がある。自分がテクノロジやネットに興味を持ってから10年くらいでの気づき「周回」という考え方によるモノだ。

 僕は今年の初めにsotaくん、内沼くんのインタビューを受けた。その中で、自分の最近の経験から、自分は「待つことが出来るようになった」「待つことをデザインしている」という気づきに至った。そのときに周回という考え方を明示したかどうか忘れてしまったけれど、なぜ待つことが出来るようになったか、と言う説明として、周回という概念が有効だと思っている。

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       例えばウェブログ。これのおかげで僕の研究題材や今の僕があるわけだけれど、これは1995年かそれ以前から日本にあったウェブ日記の文化と上手く結びついて現在定着している。ソーシャルネットワーキングサービスだって、パソコン通信の時代、ハンドルネームを固定して参加していくMLや掲示板みたいなモノに、プロフィールや日記の機能を追加して個人中心にしたものだ。Podcastingはストリーミングや個人放送をより簡単に配信できるようにした仕組みだったし、最新のTwitterだってIRCチャットのコンテクストをパーソナルユースに置き換えているサービスだ。

       だから古い、とかつまらない、とか言うつもりはない。むしろ、コンテクストみたいなモノが再生されながら、新しい(とされる)サービスが次々に生まれてトレンド化し、また生まれ変わり続けていく流れがそこに存在しているまでである。このサイクルを1回り経験したからこそ、冒頭で書いたような「待つデザイン」という考え方に至ったわけだ。しかし、自分で思いついて、ただ温めて待っていても何も起きないこともまた事実である。

       そこで、アイディアを育てる手段がこれまでも存在している。カタチになるまで抱え込まず、思いついたときにそれを発散して育てていく。これまでは、その場が企業であったり大学であったりしたわけだ。所属している組織に発散することで、それがカタチになっていき、世の中に発表されるまでになる。非常に時間が掛かるし、気づいたら自分がオリジナルではなくなっているかも知れない。しかし自分の思いを世の中にアウトプットするほぼ唯一の手段だったし、「実はこの人が」という苦労話として後々語り継がれることになる。

       では組織を持たない人たち、組織外での思いつきをどう処理すればいいか? という手段がネットやウェブの上でアイディアを育てることだ。しかしこれは小屋の中で大切に育てるのではなく、吹きさらしの草原で放牧させるというコンテクストに近いかも知れない。例えばBlogに書いて紹介しまくったり、SNSのコミュニティで議論を始めたり。

       前者と後者でどちらが導入や時間などを含めた様々なコスト的に得だったりだろうか。とても長い目で見て、Sustainabilityだろうか? また、放牧させる勇気を持てるだろうか。ジレンマだ。

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慶應義塾大学SFC研究所 上席所員(訪問)

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