Blogを書いている人にとっては、Blogを書いて生活が出来るなんて夢のような生活だ、と思っているかも知れない。確かにBlog=遊びだととらえるなら夢のような生活なんだけれど、Blogを生業とするとしたら、決して遊びのような生活にはならなくなる。なんらかのスポンサーなのか、出向先から原稿料をもらうのか、広告記事を沢山書かなければならなくなるのか。一方で、Blogsphereに良い記事があふれるための社会的責任も考えて欲しい。
・CNETオンラインパネルディスカッション: ブログの倫理規定はどうあるべき? - 先日、米国でブログの倫理規定が話題になりました。Read/WriteWebの記事によれば、発端は「webb alert」というブログが広告ネットワーク「Federated Media」との関係を明らかにしていないのではないか、と指摘されたことでした。こういったブロガーと広告主との利害関係についての話はたびたび論じられていますが、実際のところ、ブロガーにはどのような種類の情報開示が必要(あるいは不要)なのでしょうか。パネリストの皆さんのお考えを聞かせてください。またご自身で具体的に実践されていることがあれば教えてください。
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僕は、Bloggerは、記事が企業による何らかの情報や製品や金銭の提供によって書かれた広告に近いモノか? 自腹を切って製品を買ったり、サービスを受けたりした感想なのか? という点を堂々と発表すればいいと思う。一方の読み手は、広告であっても自腹であっても、「使える情報か否か」を判断すれば良い。広告記事だから駆逐されるとか、自腹だから賞賛される、ということもない。記事にフォーカスしてみて欲しいのだ。
その場合、「視座」が明らかになっていた方が読者の判断材料を助ける。どんな企業がスポンサーになっているのか? 金銭のやりとりがあるのか? という点ももちろん材料になるが、それ以上に、普段どのような製品を使っているのか、どのようなサービスを利用しているのか、といった内容の方が重要ではないだろうか。そのためにBlogには「アーカイヴ」という過去の記事が用意されているわけで。
別の視点から言えば、広告やコンテンツの関係や広告と生活の関係は(気づく、気づかないを別にして)想像以上に密になっている。その環境の中で、正直なところ、広告記事かどうかを明示なんてことは、僕にとって今さら感すらある。広告でもなんでも良いから、「あの人があの製品を使ったら、どう感想を持つのか?」の方が興味があるし、使った結果として何を選ぶか、ということに注目したくなる局面だってあるほどだ。
読者は極端な話、全部広告だと思って読んでもいいかもしれない。それでも余りあるくらいに、書き手は記事に価値を持たせることが出来ればよいのだ。もし倫理事項を設けるのだとしたら、Blogsphereに良い記事があふれるよう努める、という一文だけあればいいのではないだろうか?
TAROSITE.NETは1997年にスタートした松村太郎のウェブサイトです。コラムやニュースクリップなどの情報発信と、様々なコラボレーションの場として、10周年を迎えました。
松 村 太 郎
TARO MATSUMURA
UPPERWESTSTUDIO
慶應義塾大学SFC研究所 上席所員(訪問)
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