COLUMN | sociallearning
付箋と学習とちいさなメディア - 加藤文俊先生に聞く
by TARO MATSUMURA - 2008.04.02 17:03
僕は大学時代、2つゼミに所属していて、片方はケータイやWeblogを、そしてもう片方はメディアとコミュニケーションをそれぞれ研究する場だった。後者のプロジェクトのタイトルは「ちいさなメディア」で、このゼミの先生が、SFCの加藤文俊先生である。
「マニアックな付箋のカタログになっている」
これは加藤先生が最近僕のサイトを見て下さったときの一言目の感想だ。ただ、小さいんだけれども魅力的な、古風なんだけれども新しい使い方が眠っていそうな、そういう「ちいさなメディア」の研究に触れていたからこそ、今回の「付箋ラヴァーズ」の特集が生まれていると言っても過言ではない。
そこで、加藤文俊先生と、この付箋というツールについて、そして学習の場面で活躍している様子や、その未来について、対談をしてきた。
僕はマーカー派、でもお気に入りはロール付箋
加藤先生は本を読むとき、黄色いマーカーで本に線を直接引く。あるいは付箋を挟むこともあれば、端を追ったりもする。意外とバラバラのやり方で、本を読んでいくのだが、書き込んだり追ったり出来るように、必ず本を買うそうだ。
「バラバラなんだけれど、多分自分の中でのツールの使い分けというモノは存在していて、ちょっと意識したことがなかったから、その使い分けは分からない。ちなみに黄色いマーカーで線を引くというのは、僕が大学時代に所属していたゼミの先生の流儀で、それを受け継いで黄色いマーカーで線を引きながら本を読んでいるね」(加藤先生)
こうしてマークするのは、後でふりかえったり、参考にしたい箇所があったからだ。
本の読み方も、同じゼミに所属している人手に通っているし、マーキングの仕方まで先生の流儀を受け継ぐ。SFC以外の大学はそうなのかもしれないけれど、ワザを伝授される場としてのゼミの面白さを感じることが出来る。
加藤先生がお気に入りの付箋紙は、付箋紙というのもちょっと違うかもしれないけれど、ロールテープ型で蛍光色の付箋紙だそうだ。おそらくヤマトのりが出しているメモックロールテープの事なのではないか、と思う。貼って剥がすことはしないけれど、ちょっとマーキングするときに活用しているそうだ。
明らかにノートを取る瞬間がある
「授業をやっている時って、学生の予想以上に教壇から学生の様子がよく見えるのはご存じの通りだけれども、授業をやっていると時々、明らかに学生の多くの人が反応してノートを取ったり、そのキーワードを打ち込むタイピングの音が重なったりする瞬間がある」(加藤先生)
この瞬間というのは面白い。キーワードに反応したのか、自分が普段考えていることに対してヒットしたのか、気付きがあったのか。90分の授業の中で、5カ所なのか、7カ所なのか、10カ所なのか、学生がシンクロして手が動く瞬間があるという。
学生が授業中にノートにメモする内容は、おそらく本のマーキングと似ているだろう。試験に出るだとか、覚えておきたい内容だとか、気付きだとか、理由は様々かもしれないが、その授業の中で後でふりかえりたい内容をノートに取っていることは、自分の経験上からも明らかだ。
「90分という授業の中で、自分の授業のどこをノートに取ったのか、個人的にはとても興味がある。そこまで構造的に話をしているつもりはないけれど、90分の中での授業設計者としてのヤマとノートのポイントとが一致しているのかどうか、そういうのをリアルタイムに見てみたい」(加藤先生)
「最近チャットなどを使って、授業をしている先生と学生との間でのインタラクションをする試みをやったりしている。この話はもう良いから次に行ってくださいだとか、そこをもう少し詳しく、だとか。ただこれは、その場での即興を楽しむものとして新しい価値が生まれていると思うけれど、チャットのログをふりかえってみても後でふりかえってみて意味があるモノかどうかは疑問だ」(加藤先生)
実際にやっている自分の喋りに対して、どの部分がノートに取られたのか、どの部分に線が引かれたのか、という学習の様子をその場で見ることが出来たら、学生の理解度をより高めるためのフォローを授業の場で入れることが出来るかもしれない。そんな示唆を加藤先生は与えてくれた。
「ノート道」の次のメソッド
大学では基本的に教室での授業が行われているが、一方で遠隔授業であったり、インターネットに授業を公開するOpenCourseWareなどの形で、映像での授業の機会というのも増えてきた。大学の変革とともに授業のスタイルも変わりつつあるが、ここにこれまでの学生の授業を聞くスタンスや学習の仕方に変化はあるのだろうか。
「セッティングが大きく変わる。オンラインでビデオで見る、ということは、多分一人で見るパターンが多いんじゃないか。そうなってくると、授業のやり方や受け方が変わると思う。ただ、そこに対して新しいツールが必要である点は感じている。授業は人がいて教室にいるからノートを取るんだと思う。PCの小さな画面の前で果たして授業が流れていてもノートを取るか?という話だ」(加藤先生)
「ノートの面白いところは、その場で巻き戻せない点。いかに授業の内容をノートに凝縮するか、と言うある種のノート道みたいなモノが存在していると思う。だから人によってノートのデキが違うし、他人が見ても面白いノートもあれば、自分にしか分からない、自分しか面白くないノートもある。とにかく、90分で行われる目の前の授業は巻き戻せないし、スロー再生も出来ないのだ」(加藤先生)
今まで教室で行われてきたノートと、ビデオで見る授業でのノートは、緊張感が違うし、おそらく流儀も変わってくるのだ。
「リアルな授業でノートを取るのが上手い人がいるように、ビデオを見る能力というか、正しい授業ビデオの見方、と言うモノが多分存在しているはずで、まだあまり考えられていないと思うんだけれども。本だって速読だとか色々なテクニックがあるのと同じで、もしかしたら、ビデオも早回しで見て情報を得たり、勘所を上手く発見して、短時間でビデオを見るやり方が確実にあるはずだし、そのための仕掛けというモノはあるんじゃないかと思う」(加藤先生)
他人の付箋は気になる
もし他人から参考書を借りたときにアンダーライン、ドッグイヤー、あるいは付箋が付いていたらどうだろう。邪魔だな、と思う人もいるかもしれないし、それが図書館の本だったりするとやはりあってはならないことなのかもしれない。しかし加藤先生は興味があるという。
「他人が付けた付箋って僕は面白いと思う。実際、本の余白に書かれた落書きを研究している人がいて、本の内容に関係あるモノもあれば、手近にメモがなくて電話番号を書いたり。本そのモノを学ぶということの他に、その本を読んだり学んだりした人が、そのホント道向き合ったのかという事を知る手がかりになる。これはとても面白いじゃないですか」(加藤先生)
「授業のビデオも、もしかしたらテレビを見ながら眺めていたかもしれないし、さっきありそうだと指摘したビデオの見方の流儀であったり、というものが授業ビデオに記録されていくと、その授業がどう消費されたかが分かるはずだ。単純に何回ポーズされたか、と言う情報も、集中度だったりわかりやすさの指標になり得るわけで。」
リミックスのカルチャーを授業も編集を
本にアンダーラインを引く動作について、これは一体何が行われているのか、と言う問いかけについて、加藤先生はとてもポップな例を引き合いに出して応えてくれた。
「本のアンダーラインは、あとで自分でそのアンダーラインを追いかけながら、情報のエッセンスをピックアップしていく。これは本の中から自分に必要な内容を抜き出しているわけだ。音楽だって自分のプレイリストを作ったり、メドレーで良いところだけをぬkだしたりするじゃないですか」(加藤先生)
「ラインマーカーは英語でハイライターという。つまりハイライトやダイジェストを本から抜き出して見ていくという動作をしているのではないだろうか。オペラにもダイジェストで講演するスタイルがあるし、スポーツニュースで見る試合のダイジェストも、試合の雰囲気を掴むことができる」(加藤先生)
別に楽をするというわけではなく、情報の概要をつかむための手段として、ダイジェストやハイライトは便利なやり方である。このダイジェストやハイライトは正に編集であり、本のアンダーラインは本の編集、授業中のノートは授業の編集作業であると言える。
「同じ授業でも、僕が見た加藤版ハイライトと松村版ハイライトは違っているはず。授業中のノートのシンクロを経験しているので、同じ所が含まれることはあると思うけれど、とらえ方やニュアンスが違ったり、全く違う箇所に食いついたりしているはずだ」(加藤先生)
とすると、加藤先生がアンダーラインを引いた本を僕が借りて、そのアンダーラインの箇所を拾っていくと、加藤先生にその本のポイントを紹介してもらったに等しいわけだ。
「ノートも同じで、○○ちゃんのノートを取り合うのも、○○ちゃんのとらえ方が上手いから。本でも授業でも同じなので、授業のビデオでも同じ事が起こるのではないかと思う。授業ビデオの読み解き方も、同じ素材に加藤版、松村版、また別の先生版があって、比較したり補完しあったり、あるいは完全にその先生の視点を採用したりできると便利になりそうだ」(加藤先生)
見る人に自由な素材がいい
ビデオ学習に新たなノート取りの仕組みを組み合わせる。この場合、どんな内容がフィットしそうなのか。
「おそらく、料理の作り方だとか、実験の仕方と言った、決まった手順が存在している授業は、あまり学習に差が見られないかもしれない。例えばフライパンの手の返しなどを繰り替えし学ぶ、というパターンでのマーキングは有り得るけれど、順序は変わらない。どちらかというと、どれを先に学んでも効果に差がない内容の場合、人によって順序を変えて学習することで分かりやすさや納得のしやすさに変化が出るだろう」(加藤先生)
つまり手順を学ぶモノはビデオをそのまま見ればいいが、そうではない学び、色々なモノがパラレルに走るようなクリエイティブな作業・学びの場合、誰がどのようにして手順を再構成するかによって、伝わりやすさが変わる可能性がある、ということだ。
「最初に具体的な話を聞いてから、抽象的な話しに行く方が分かりやすい人もいえば、先に概念を話した上で具体例を聞く方がすんなり心地よい人もいる。ノート取りは授業の再編集のような作業だから、自分で分かりやすいように90分の授業を校正し直している作業なわけで、これがビデオでのオンライン授業でも出来るようになると、リアルな授業と同じような効果を求められる環境になるのではないか」(加藤先生)
もしかしたら大きなインパクトも
加藤先生は、最後に、やってみなければわからないけれど、と前置きをした上で、ちょっと過激なアイディアを披露した。
「例えば慶應の授業は半期13回、90分ずつの授業があるんだけれど、これを普通に受けた人と、授業ビデオを毎回5分間のダイジェスト、リミックスヴァージョンで13回受けた人とで、期末テストの成績がどうなるか、という実験は(出来そうにないけれど)タメしてみたい」(加藤先生)
つまりオンラインの授業ビデオで、しかも誰かの編集によって再構成されたダイジェスト版のビデオでの学習をした学生と、90分を13回マジメに受けている学生との間で、学習効果にどのような差が出るか、と言うことである。
「もし仮に(おそらくそうなることを期待しつつ)、ダイジェスト版の人が同じくらいの成績を取ったり、あるいはマジメに授業にでていた人よりも良い成績を取った、と言う結果が出た場合、とても画期的なことだ。つまり半年に50分で良いわけで、90分13回の授業は無駄だ、ということなのだから」(加藤先生)
もちろん90分の授業をやったからこその5分のダイジェストであるし、そこにはうまいリミキサーの存在が必要なことは間違いない。
「確かに90分集中していることは難しいことは言われている。5分のダイジェストで効果が出るからといって、すぐに全ての授業がオンラインになるということでもなければ、大学の先生の危機であるという言う話ではない。大学に人が来なくなることでもない」(加藤先生)
「もし、上のような結果が仮に出たとしたときにどうアクションをするか、と言う部分が大切なのだと思う。その空いた時間に、大学に来なければできないもっと別のこと、授業に出なければ体験できない事を本気で作っていかなければならない。ある種のライブ感だったり、予期せぬ議論であったり、コラボレーションであったり。シナリオがインタラクティブに変わっていくような、あるいは知的好奇心で興奮する瞬間を経験するようなものを、作っていかなければならない」(加藤先生)
まだまだ新しい学びのスタイルに行くには、遠い道のりかもしれないけれど、これまでも活躍してきたマーキングのツールをはじめとするちいさなメディア、オンラインの学習メディアとの連携によって、新たな学習の局面が切り開かれるきっかけにもなっている。
「教室とは明らかに違う効果や体験として考えても良いかもしれない。どうやって学びに生かすか、それを受けたリアルな教室での体験というものを、それこそ再構成してみてもいい。オンラインで学習をすることは、時間や場所に縛られたりしなくなることが本質ではなくて、新たな体験をするためのベースにしていければ」(加藤先生)
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