日本文化って、型の文化だと思います。しかも、その型は、人の間で非常に有機的に作用する豊穣なものだと思っている。
わかりやすいところから行けば、盆栽は小さな鉢の上に枝振りを楽しむ、寿司は同じシャリの上にネタ変えながら楽しむ。奇をてらってカリフォルニアロールみたいなものを作ってしまったりするのですが、構成要素は同じでも寿司の楽しみ方としてはちょっと違う気がしている。
けれどもソフトシェルクラブの素揚げが入ったスシ・ロールはわりと好きですけれども。
しかしカリフォルニアロールが「違うなあ」と感じる点にも面白い要素が入っている。型にはこういう閉鎖性もある。「オープンな型」というものが存在するかどうかは少し考えていく必要がある。一方で、型がオープンになることと、新しい型を作ることは意味が違う。
先日伊藤穣一さんとコラボレーションについて話していたときのこと。「コラボレーションを阻害するのは、乱立するスタンダードだ。新しい取り組みを仕様とするとき、皆がいくつもの新しいスタンダードを作ってしまい、相互利用の点でいつも苦労している」と解説している。
オープンスタンダードを存分に使いながら物作りをすることが、ウェブやテクノロジの世界でとても重要である点を力説していた。つまりカリフォルニアロールみたいなものをすぐに作ってしまうことは、コラボレーションを難しくしているという指摘である。詳しい話はまた書きます。
また違う角度から。
チーム★ラボの猪子さんは、日本製のゲームにもこの性格は貫かれていると指摘している。
例えばスーパーマリオ。
もちろんステージをクリアしていくことが目的ですが、ジャンプしたり、ダッシュしたり、ファイアーボールを投げたり、マリオを操作する行為そのものに「ハマる」感覚は、確かに毎回覚えるものだ。DSのスーパーマリオの「マリオ&ルイージ」という対戦モードがあり、フィールドに現れるビッグスターを集めて勝ち負けが決まるのだが、それ以上にマリオの基本操作の方が面白くなっちゃうのだ。
茶道や剣道も、本来の目的、おそらくお茶をおいしく飲んだり、剣で敵を倒したりする部分とは別の要素、プロセスと言うべきか、お茶を点てる、技を成立させるという行為を内省的に愉しむ。その型は、コミュニケーションツールになっているように感じている。
オリンピック競技のルールがしょっちゅう変わる。あれも合理的な理由があるのだろうが、行為そのものよりも勝ち負けを決めるルールだからしょっちゅう変えてしまうのではないか、と思ってしまう。
お笑いにも、型の面白さが強く表れている。
落語の枕から始まって下げまで続く一連の話芸は、話の筋がわかっている同じ話だとしても、話の持って行き方、そして実は個性が表れるオチと、楽しみ処が満載だ。
海外には見られないボケとツッコミ。コミュニケーションの中で瞬時にロールを意識してその場の会話にグルーヴを持たせる。それが集団芸になるのが大喜利である。うならせる答えやわざとスカす感覚、やはり日曜5時の大喜利は秀逸なアドリブ・コミュニケーションが展開されているように感じている。
強い型を持っていると、それが芸にもなる。
ダチョウ倶楽部の「熱々おでん」や「じゃあ俺がやるよ!どうぞどうぞ」の集団芸は、彼らが持つ盤石な型の上に「乗っかる」ことで笑いが成立する。人が乗っかって「ケガ」をすることが少ない、というパターンは、希じゃないだろうか。
コミュニケーション手段として、あるいは共通認識としての「型」は、非常に簡単にクリエイティビティを示したり、磨いたりする「ツール」として非常に有用に思う。
僕はついつい、街や自然からルールを探したいタチだ。それを実践しているのが、都市で生活している中での細かいけれども気になること、見過ごせないことを記録していく「今日のトーキョー」アプローチである。これ、2001年から始まっているのだから懲りないな、と自分でも思うんだけれども。
街を歩いていると、パターンを見つけたくてしかたありません。それを見つけることで、再生、再現可能になるし、人に語ることも出来るようになる。なんらかの予兆が起きたときにその経過変化を理解しやすくしてくれると思っているからだ。
東京だとかニューヨークだとか、街が持っているノリ、ルール、サイン計画の流儀、人の流れなど、暗黙知的に内在しているパターンに気づくと、知らない街でも表面上は困らなくなる。
ガイドブックに解説してあったとしても、やっぱり自分でちょっとした観察というサンプリングをし、以前から身についている型とのマッチングをして、正確なことが言えなくても「おおよそ見当が付く」ようになるほうが有用だ。
そろそろまとまりが付かなくなってきたので、「型を語らう」ワークショップのメンバーに返すことにするけれど、決して「型」はクリエイティビティを壊すものではないし、コラボレーションを行う際のツールにもなる。そういう意識で「型」というものを科学する甲斐はあるのではないだろうか。
現状、そんな議論になっています。
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松 村 太 郎
TARO MATSUMURA
UPPERWESTSTUDIO
慶應義塾大学SFC研究所 上席所員(訪問)
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