COLUMN
べったら市とバーチャルな人間
by TARO MATSUMURA - 2008.10.24 17:35
週末ごとにどうも朝からトンカンやっていると思ったら、我が家の前はべったら市の宝田神社の参道だったのだ。参道としての面影も人影も一切ない休日や平日の夜の時間に、提灯のヒカリの帯が煌々と照り始めたのである。その風景からお祭り当日の変化をご覧あれ。
まさかこうなるとは、本当にびっくりしてしまった。
こんな盛大なお祭りになる宝田神社は、周囲をコインパーキングの土地に削り取られてかろうじて残っている神社。神社の建物もお祭りに合わせてかっこよくデコレートされました。
10月17日に、宝田神社から昭和通りを挟んだ位置にある薬租神社のお祭りが行われていて、この神社はビルの屋上にある。そして宝田神社の参道は日の当たらないオフィスビルの間。そういう日本橋界隈の神社事情を見て、日本人というのはヴァーチャルに強い文化を持っているのかな、と思ってしまった。
やっぱり神社と言えば、うっそうとした森が茂っていて、鳥居があって、玉砂利の参道を歩いていって、というイメージが僕の中である。ところが宝田神社も薬租神社もそのイメージとはかけ離れた、街の中の神社なのである。
しかし、その神社と接する人の頭の中で、キチンと慕われていて、お祭りの季節がやってくるとそこにたくさんの人が集まり、そして日ごろの感謝の念を表す(かどうかはわからないけれど)。
そしてお祭りが終われば、参道として整備された提灯や鳥居のようなゲートは取り払われ、また普段の景色に戻るのである。そんな様子を見て「器用なモノだ」と感心してしまうのだ。
たぶんこれって、お墓のマンションが存在しても良いのと同じような考え方なのかもしれないし、最近の散骨による供養なんかも、同じなのかもしれない。テクノロジーによるヴァーチャルにはアレルギーが沸きやすいが、日本の文化は十分にヴァーチャルに慣れている。
そんなアイディアを持った、秋の1日であった。
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