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ライフログについての整理
by TARO MATSUMURA - 2008.12.26 14:34
ライフログの世界へようこそ
2008年11月、ソニーマーケティングは、日本で初めて「ライフログ」をうたってリリースしたサービス、Life-Xをスタートした。Life-Xライフログサービスとシェアリングのサービス。Life-Xの登場は、日本のネットユーザーに対しても、ソニーに対しても、「ライフログの世界へようこそ」という挨拶のようなものだ。
ソニーといえば、映像、ゲーム、カメラ、オーディオなど、デジタル機器で生活を豊かにしてくれる、先進的な企業、と言うイメージを持っている。そんな彼らがWebサービスを展開するにはワケがある。Life-Xとも連携するeyeVioは、Web上で高品位な動画を共有できるWebでも屈指のサービスとなっている。それは、ソニーが手軽にHD映像を撮影できるカメラを作っているから、と何となく想像がつくのではないか。
では、Life-Xをソニーが始める理由は何だろう?
ソニーがライフログサービスを始めるときの強みは、やはり出力先の充実だ。Life-Xが僕らの情報を集約してくれると、リビングやモバイルでの情報家電上で表示してくれるようになる。これは今までのウェブサービスにはなかった。ウェブ上に散らばる自分の情報をテレビから楽しむことが出来るようになる。
ウェブをテレビから見られたらうれしいだろうか? 僕は「うれしい」と素直に答える。その1例が、シャープのAQUOS上で展開されているYahoo! JAPAN for AQUOSだ。キーボードからすいすい検索して使うウェブと違って、リビングでリモコンを使ってゆったり楽しむウェブ。これは初めての感覚で、写真やテキストを美しいフルハイビジョンのパネルで楽しむことが出来るのは感動的である。
僕が期待する、Life-Xの1つ目の意味は、自分の写真や動画をゆったりとリビングで楽しむことができる点だ。つまりじっくり、しっとりと楽しむことが出来るライフログサービスになるのではないか、と思いをはせているところだ。
その期待に対して、Life-Xの進化が果たして答えてくれるのか。
ライフログサービスとは息の長いつきあいになるのではないか、と考えている。しかし初期に設定されているLife-Xでは、アップロードしたコンテンツの保持期間が1年、というのは短すぎる。この設定からして、ライフログという視点から考えると、どうも本気度が見えない気がするのだ。もちろん1年間は長いと思われるかもしれないが、僕のBlogはすでに5年目である。
5年前の自分の文章は恥ずかしいけれど、自分へのフィードバックは少なからずある。ライフログの1つのうまみである自分へのフィードバックは、ぜひ多くの人に体験して欲しい経験だと思っている。せっかくライフログをやるのだから、信頼してデータを預けられるサービスであって欲しい。
ちなみに、Flickrなどのオンラインフォトアルバムでは、年間$24の投資で、半永久的に写真をキープできる。すでにそういうサービスがウェブ上に存在しているから、Life-Xがストレージを提供する必要はない、というのもまたうなずける。
ライフログサービスはどこか1社の取り組みによって成し遂げられるわけではなく、ウェブ上にあるサービスが総体として、個人にどのようにサービスを提供できるか。これまでのWeb 2.0でのサービスはどうもサービス間に対してのサービスであって、個人もそのメリットを少し享受してきたに過ぎない。
ライフログ関連のサービスについては、まさに個人に対して、各サービスがどのようにサービスできるか。もちろん個人のライフスタイルによってサービスの取捨選択ができるが、同じプラットホームの上に並ぶことができるか、という前提があるように感じている。RSSなのかSNS的なプラットホームがFacebookのように解放するのか、手段は揃ってきているのが現状だ。
ライフログはパーソナルデータベース
もしも情報に対してより積極的に関わりたいと考えている人、あるいは知的生産に関わりたいと思っている人は、ライフログに対して真地面に取り組んだ方がよいと思う。その理由は、自分の経験との対話と、他の人との経験の連結を、目の前で可視化できるからだ。
人間は非常にたくさんの情報に触れている。温かい日差し、花の色、その香り、ランチのハンバーグの味、鞄の革の手触り。街をただ歩いているだけでも、非常にたくさんの情報が入ってきている。それらは五感全てであり、人によっては第六感のようなモノもまた、触れている情報に含まれるかもしれない。
インターネット以前から人間の生活はもともと情報過多であり、「情報をスルーする」ことが出来るから、頭がオーバーヒートすることなく暮らしているのだろう。つまり必要な情報を選ぶという作業が無意識のうちに介在していると考えている。この選ぶ部分には個性があると思うし、センスが問われる部分でもある。
そのセンスを磨くには、他人との違いを感じるだけでなく、いまこの状況に置かれている自分が、何を選択したか? 何を考えたか? という振り返りが大切だ。この両方を一度にかなえるのが、ライフログサービスを使う意味ではないだろうか。
今自分が何を選んでいる、何を考えていると言うことの蓄積をし、それを自分で振り返ることは、過去の判断の良かった点、悪かった点などを新たな選択や思考に生かす上でとても役立つ。そして他人に対してそれを見てもらうことで、共感や助言など、選択や思考の連鎖が発生する。あくまで情報や選択という視点からのつながりであるが、これらの共感や助言が連鎖する相手は、身近な人であることが多いだろう。
もしライフログが数年規模で蓄積してきたら、今気になった事柄について、検索をしてみて欲しい。過去の自分に対するちょっとした恥ずかしさとともに、大きなヒントが得られるかもしれない。ライフログを続けることは、そんな経験を1つでもすれば、疑うべきモノではなくなるはずだ。
街との連携なんて、面白そうだ
ライフログサービスが連携して欲しい端末やサービスは、極端に考えれば身の回りにあるモノ全てだ。コンピュータやテレビ、ゲーム機器だけでなく、ケータイやそのインフラサービス、裏にあるエージェント機能、さらに交通機関や街そのものも連携すべき対象かもしれない。しかしあくまで、使う人本人が管理すべき連携だ。
前回身の回りにあるモノ全てが情報だという話を書いた。つまりライフログは身の回りにあるもの全てから採集されているわけであって、フィードバックされる対象は身の回りにあるもの全てであっても良いのではないだろうか。もちろんそれを顕在化させるゲーム機やケータイといった端末を介してで十分ではあるけれども。
ライフログに残される情報は現在は自分で残すことを選択した情報が多い。ブックマークやつぶやき、ブログ、写真やビデオはどれも「残そう」と選んだ情報ばかりだ。しかし駅の改札口でタッチするICカードや、コンビニで買い物をするときのポイントサービスなど、自動的に取られている情報もたくさんある。
ビジネス上の問題もあるので全てを公開しろ、とは言わないまでも、もしその情報を残した本人が使うのであれば、ぜひ活用する方法を提供してくれてもいいのではないか、と思ってしまう。
クルマ、インターフェイスなど、様々な未来の姿を予測してくれた映画『マイノリティリポート』のデジタルサイネージは強烈だ。駅には改札がなく、虹彩で個人認証をするフェアスルーシステムが採用されている。現在の日本のようにICカードをタッチすることもない。
さらに駅を歩いていると、やはり虹彩で個人認証をして広告が自分の名前を呼んで話しかけてくる。「最近忙しいみたいだからリゾートなんてどうだ?」なんて話しかけられたら、自分の仕事のスケジュールまで情報として活用されていることになる。さすがにこの世界になるとちょっと「気持ちが悪い」と思われるかもしれないが、ライフログと自然に取られる個人情報を組み合わせると、現在でもこのようなサービスは実現可能なのだ。
例えば自分のモノだ、と断定できるパーソナルな端末、例えばケータイやポータブルゲーム機が、自分の残した情報や自分が取られた情報を活用して、街に入ってきたり、お店に入ってきたりしたときに、「ちょっとしたアシスト」をしてくれるサービスがちょうど良い。
そこにゲーム性をもたらしたり、ペットのようなキャラクターを持たせたり、「気持ち悪さ」を払拭する工夫やサービスのチューニングは大変そうだが、このテーマはライフログの安全で楽しい活用の旗振り役になれるかどうか、ライフログに対する期待の1つでもある。
私家版「地球の歩き方」としての活用
ライフログ、ライフストリーミングを「自分のためのデータベース」「街との対話の窓口」という切り口を考えてきた。つまり自分がどのように活用するか、と言う視点で見てきたが、同じようにライフログをやっている人が増えれば、その人を知っていても知っていなくても、活用が広がると思う。
視点や経験が、ライフロガーの分増えることになるからだ。これが、ライフログを日常生活で活用するメリットだと思う。しかも、意図した経験の共有よりも、突発的な共有の方が、ライフログもしくはライフストリーミングならではの経験になるのではないだろうか。つまりライフログを、持ち運べる情報端末であるケータイから楽しむと、この面白さを最大限に感じられるはずだ。
例えば初めて訪れた街で、お昼ご飯を食べようと思ったとき、もちろんグルメガイドの本やウェブサイトはたくさんあって、名物を食べるのも悪くない。けれども、その場所で一言「この街のランチのおすすめは何だろう?」とつぶやいてみたときに、「場所」を共有している人とのアドホックなコミュニケーションが体験できる。
あるいは東京、神宮外苑のいちょう並木を訪れたときに、ここが紅葉したらどうなるのだろう、と場所に残された誰かのライフログを見つけて楽しむことも出来る。毎年、いちょう祭が開催されるが、そのときには金色の絨毯の風景にはなっていないので、せめて写真で楽しんだり、その写真が残された日付を見て、もう一度来てみる予定作りをしても良い。
自分で活用する以外に家族や同僚で楽しむのも良いが、せっかくなら新たな発見や気づきのある活用方法を試す方が、ワクワクして楽しめるのではないだろうか。リアルタイムに蓄積、編集されていく、いわば「地球の歩き方」の私家版を手に入れたような感覚になれば、ライフロガーとして80点くらいだろうか。
記憶を補助する装置として、あるいは記憶を検索可能にする手段として、ライフログの有効性がまず個人にフィードバックされる使い方が、望ましいと考えている。
日常のシェア、同時代をライブ感を共有する
仲間と情報共有・公開をしあう楽しみ方として僕がお薦めしたいのは、やはり今を生きているライブ感をシェアすることだと思う。
特にモバイル環境からの写真のアップロードや、メモ、ブログの投稿などが簡単にできる用になっているからこそ、時間をシェアする感覚が持てるインターフェイスとしてのライフログの存在は、今後大きくなるモノと考える。
大学生までなら、クラスやゼミ、サークルなどで毎日、もしくは毎週顔を合わせる友人が必ずいたはずだ。やはりゼミの友人は僕にとって貴重だ。違う視点で同じことを考えながら、たくさんの情報を取捨選択しあっていく。ゼミというくくりがありながら、オープンで抜けの良い情報環境というか、情報網。これが数年続いたのは、とてもエキサイティングな時間だった。
この感覚をオンラインで実現できないか、というときにライフログの楽しみ方があるのではないだろうか。特にイベントがあるわけではなく、日常生活をいかに自然にシェアするか。その手段としてライフログは有効だと思う。
僕は主にTwitterやFlickr、そしてBlogのRSSを集約してライフログを活用しているが、テレビがない生活をしていても、何となくニュースのヘッドラインや話題になっていること、気になるキーワードはタイムラインを追いかけると理解できる。
位置情報付きの写真があれば、今日から始まったイルミネーションの様子だったり、マスメディアのニュースよりも必要な情報をリッチに知ることが出来る。もちろんイベントがあればそれをシェアする使い方はとてもわかりやすい。
けれどもイベントがなければシェアするべき情報がないのか、と言われるとそんなことはないはずだ。むしろ、そこでシェアされるであろう、同じ時間を生きている感覚のシェア、ライブ感ほど、面白いモノはないのではないだろうか。
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