COLUMN
ケータイは「総合情報端末」として禁止
by TARO MATSUMURA - 2009.01.20 12:32
福岡県芦屋町の教育委員会が、小中学生の携帯電話所持を禁止する「子ども 脱ケータイ宣言」をまとめたそうだ。大阪市、埼玉県、新潟県妙高市などすでに学校でのケータイ禁止を打ち出している自治体に続くカタチ。発表では、「総合情報端末で、ネット上の危険にさらされる可能性がある」として禁止される。どうも個々は違和感がある。
総合情報端末ならば、きちんと教育して、安全に利用でき、また学習の妨げにならない使い方を考えるべきではないのだろうか。産経新聞の2008年12月の調査では9割がケータイ持ち込みに反対、子どもにケータイが必要と答えたのは28%、学力低下との関連性は84%があると答えたそうだ。まだケータイに対して「得体の知れないモノ」として排除したい雰囲気が日本にあるから不思議だ。
以前中学・高校の先生をしている友人に話を聞いたところ、子ども同士のコミュニケーションが完全に不可視化されていて、当初困惑した経験を話してくれた。
その友人は僕と同世代ということは、地域によって違うかもしれないが、ぎりぎり、教室内でケータイやPHSを使ったことがある世代だ。例えば僕の場合、1995年の中学でちらほらポケットベルを持っている人がいて、1996年にPHS全盛(DDIポケット大人気)、1997年の移行期を経て、1998年はドコモとIDOのどちらかになった。席順が自由で仲の良い友人同士で固まって座っていたため、前半分はドコモ、後半分はIDOになり、仲の良い友人とメールのやりとりを可能にしていた。
友人は、使っているサービスや端末の話題などからだんだん彼ら・彼女たちの「コミュニケーションのノリ」をつかんできて、教室その他の会話や実際に同じサービスを試させてもらうことで理解できるようになった、と言う。だからといって全てのコミュニケーションをトラックしているわけではないはずだし、それをする必要もないだろうが、何か問題が起きたときの対処は、違ったモノになるかもしれない。
現場の話とともに、家庭やケータイキャリアの対応も重要なモノになるのではないか。どのようにポジティブに新しい(と言ってももはやケータイは新しくないけれど)テクノロジーを生活に溶け込ませるか、家族の安全を守るか、生活をエンパワーメントするツールとして取り入れるか、これらについてビビらずにもっと考える必要があるはずだ。
この議論は、どうも、情報格差を生みそうな要因になっているような気がしているのだ。
MSN産経ニュース: 小中学生の携帯所持を禁止、福岡・芦屋町教委「宣言」
町教委が昨年開いた住民との意見交換会では「子供にも携帯電話は必要」などと慎重な意見もあったが、携帯電話をめぐるトラブルが多発していることから原則禁止を盛り込んだ。町教委の担当者は「宣言を、家庭で携帯電話について話し合うきっかけにしてほしい」としている。
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