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新しいメガネから見る視線 - AR Commons
by TARO MATSUMURA - 2009.07.11 01:37
AR Commonsのキックオフシンポジウムのフォローアップ。テキストライブはTwitter「#ARC2009」からどうぞ。
続いての登壇は慶應義塾大学環境情報学部准教授の加藤文俊氏。ケータイが標準装備された社会におけるARのとらえ方について、バイカーの自転車技術論を紹介しながら、その可能性について触れ、ARの話のタネを提供して会話をする事が、ARにとって重要な事だ、と強調した。
AR Commonsの伏線の説明にもなるし、僕の大学・大学院時代のバックグラウンドの説明にもなる良いチャンスなので、少しイベントから外れて、SFCの加藤研究室、ケータイラボについて触れておきたい。
僕自身、2001年〜2002年にかけて、加藤文俊研究室「ちいさなメディア」プロジェクトに所属し、身近にあふれるメディアについての観察、コンテンツそのものの制作、ゲーミングなどを学んだ。今振り返ると、「型」「フォーマット」や、ゲームに必ずある「ルール」によってそれらを増殖され、消費し、楽しむという体験は、UGCをどのように活用していくか、と言う視点を与えられていたように感じる。貴重な時間だった。
その後大学院時代は、小檜山賢二先生、加藤文俊先生を中心としたケータイラボの第I期に参加していた。
小檜山研究室は、「モバイル・マルチメディア時代のアイディア発想」と、大学院では「Wearable Environmental Media(WEM)」という2つのプロジェクトが走っていた。前者はビジネス、サービス寄り、後者はARの技術をウエアラブル・コンピューティングのコンテクストで研究・実装していた。一方の加藤研究室は、メディアを通じたコミュニケーションデザインと学習環境のゼミを開校していた。
2004年に出来上がったケータイラボは小檜山先生、加藤先生、熊坂先生を中心に構成した、ケータイに関する研究室の集合体となった。「ケータイを知る」社会的・文化的インパクト、ユーザー動向、コミュニケーションの変容。「ケータイで知る」センサーの集合体としてのケータイ、社会参加のための”道具”としての活用を考える。そんな2つのラインで研究が行われている。
この「ケータイで知る」という部分が、AR Commonsで考えるべき公共圏の問題にも符合してくる野ではないか、とプロジェクトに参加していたモノとしては非常に納得感がある。社会参加の道具として、モバイルデバイスから利用するARの活用はどのような姿になるのだろうか。これまでのケータイラボでは社会調査のツールとしての活用をすすめてきたが、これがいよいよ、日常生活の中に入り込むことになる。
さて、加藤氏のプレゼンテーションへ戻る。
ケータイラボの「ケータイを知る」のアウトプットとして「ケータイは僕らのサバイバルギア」になった、と指摘した上で、ARはそのケータイのポジティブな活用方法として捉える事は出来ないか、と提案する。隠し撮りや有害コンテンツの問題もあるが、もう少しフラットに、「標準装備」のツールと捉えるとき、どんな世界が拡がるだろうか。
加藤氏はARが利用できるモバイルデバイスを、「新しいメガネ」に例えて、どんな視力が拡張されるのか、どんな視線が生まれるのか。身体の何が拡張されるのか。何が見えるようになり、何が見えなくなるのか。誰が何のために使うのか。考える課題を提示した。
続いて、バイカーの自転車の技術士の一コマを例示しながら、ケータイやARの社会との関係性について紹介する。
「昔は直接前輪をこいでいた。昔の自転車乗りは、ハンドルに足をかけて坂を下るスタイルで受け入れられた。それがユーザーの欲求で形を変えていきます。自転車の歴史で面白いのは、自転車の形が変わると、街、服装、社交場も変わる。道路の整備も変わるということ。同様に、全体としてAR技術を見る視線を忘れると、ARを過小評価する事になります」(加藤氏)
僕の問題意識でもある大学の教室の風景にも議論が及ぶ。僕がTwitterの授業をしているけれど、元はと言えば、加藤先生とのディスカッションがアイディアのきっかけになっている。
「大学の階段教室はすり鉢状の従来型の教室はラップトップをみんな開いている状態。教員側からは画面がのぞけないので、出席しているが、心理的には退室しているかもしれない。これもAR Commonsのテーマになる。授業中のノートPC禁止、無線LAN撤廃、画面モニタリングなど、教員的発想も存在するが、それは違う。10年前、15年前とは違うのだ。じゃあ、この階段教室という場所のままでいいのか?という疑問にたどり着く。教室やカリキュラムを改造すればいいのか、それは難しい。しかしポケットにはモバイルメディアがある。そういう状況での人間関係や学びを再設計する方が面白い」(加藤氏)
ARの話題から、人間関係や学びを再設計という話が出てきてまたぐっと視点が拡がった感覚を覚える。ARと社会関係について、「全体」としての理解を試みること、技術とサービスを一体的に考えること。背後にあるコミュニケーションを時間の流れの中で捉えていくこと。これらが、AR Commonsで語られるべき基本的なスタンスなのだ。
その上で最後に、加藤氏は「話のタネ(conversation piece)としてのAR」を提供したいと語る。技術の面白さの議論以上にARがある未来を語る事で理解を深めていく。そんな会話・対話のチャンスがAR Commonsの役割であると締めくくった。
ケータイを標準装備した世代は、ケータイにもARにも何の目新しさを感じず、当たり前のモノとしてエアタグで武装し、ディスプレイを通して現実世界を眺める。その視線に出来るだけ近づきたいと思うし、その視線であふれる社会のデザインへの期待感を寄せるのだ。
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