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AR vs VR - セカイカメラが生まれるまで - AR Commons
by TARO MATSUMURA - 2009.07.10 23:17
7月10日、Android端末のリリース直後に行われたAR Commonsのキックオフシンポジウムのフォローアップ。テキストライブはTwitter「#ARC2009」からどうぞ。
AR Commonsの発起人でもある岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー教授 赤松正行氏、慶應義塾大学環境情報学部准教授でケータイラボでの僕の恩師でもある加藤文俊氏によるオープニングセッションでは、現在ARについて語るための会話のタネが提供された。AR Commons自体が、ARに関する会話の場であり、提言をまとめるプロセスである。
さて、まず赤松氏は、AR、Augmented Reality、拡張現実とは何か?という話題をセカイカメラの視点で説明した。
「世界に対する恐怖があった。全然知らない街に行ったときにどうしたらいいか分からない経験はあると思うが、人間には未知なるモノへの根源的な恐怖感がある。それに対処する方法は、道具と言語。特に命名することは、世界を文節化して理解する、大きな力となった。道具(機会)+言語(論理)で世界が加速的に明らかになった」(赤松氏)
その一方で、未知なるモノを表現してその場にいなくても理解できるようになってくると、現実に対する疑問が生じてくる。それに対して答えを持たせるのは、他でもない現実だ。赤松氏は、今この場を共有しているという現実そのものにパワーがあると説明する。
また、ARの他に、Virtual Reality、Mixed Realityという2つのRの存在がある。仮想から現実へ、「日常・現実」ー「AR」ー「MR」ー「VR」ー「幻想・仮想」というグラデーションにこれをマッピングする事が出来る。現実と仮想の混合具合による分類だ。見て分かるとおり、ARは最も現実、日常に近い存在である、と言うポジションなのだ。
ARのサービスとして世界中から注目される「セカイカメラ」。iPhone版のリリースがいよいよ今月末ともささやかれる中、赤松氏は自信の研究と、2年前から始まったセカイカメラに関する話題に触れた。
「セカイカメラに関わる前、私個人はAR的作品を作ってきた。ところがiPhoneがでたときは衝撃的。鏡像的ライブビュー。後ろにカメラがあると、透かして見て、ライブ・イメージ・オーバービューが可能になる。これがセカイカメラのヒントになった。
セカイカメラは2年前から構想があった。現在とあまり変わらない構想だったが、VR的な要素が強かった。VRは個人的に嫌い。VR vs ARの議論があった。全くの虚構を作るならVR。AR的なモノなら、なぜ現実を途方もない苦労をかけて現実を作り直すのか。現実を活用すればいいじゃないか。「今ここにある現実」が何よりも強力であり出発点になった」(赤松氏)
こうして、セカイカメラはVRではなく、ARプラットホームとして開発が進み、現在に至っている。
全てがコントロールできるが全てを作らなければならないVRは、将来的には何らかの活路を見いだすかもしれないし、当たり前になるかもしれない。しかし、赤松氏が示したポジショニングに説明されるように、現実世界に近いAR、MRと順々に試されながら、VRの世界を生活に身につけていく方が自然とも言える。
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