COLUMN | mobilenative
Book in the Keitai
by TARO MATSUMURA - 2008.03.26 23:10
ケータイ小説について。
ケータイ小説の多くは、元々の小説家が書き始めたと言うよりは、ケータイ向けのコミュニティサイトを使って限りなく日記に近い創作を公開し始めたところから始まっていると言える。その総本山とも言える場が「魔法のiらんど」の「ブック」という機能だ。
以前魔法のiらんどを取材した折、口コミで広がり始めたこと、ワカモノが初めて触れる「ネット」としての自負、そして小説を公開し、新たなコンテンツ編集法としてコミュニティの中で執筆活動をする、という流儀が形作られてきたことなどの、経緯について伺うことが出来た。当時の担当者の方は、CGMからエンターテインメントを紡ぎ出す仕事を立ち上げるべく独立したそうだ。
ケータイ小説を開いてみると、これまで慣れ親しんできた小説と違うことにすぐ気付く。
短くすぐ改行される一文、会話文で校正される箇所が多く、心理も会話の中に言葉として含まれていく点、そして躊躇なく使われる顔文字と、ワカモノらしい生々しい描写などだ。奥ゆかしさがないとも言えず、浅いと切り捨てるわけにも行かない、新しい何らかが存在していることを、認めるべきものだ。
大学の授業のレポートをケータイメールで提出してしまう世代なのだから、今さら驚くべき事でもないとは思うんだけれども。
これから、このケータイの上での小説は、ワカモノだけに消費されていくものなのだろうか。ケータイ小説に親しんだ世代が増えていくゆっくりとしたスピードでしか、このカルチャーは広がらないのであろうか? それも少しもったいない気がする。
70を超える祖父母世代からもケータイで写真付きのメールが送られてくる昨今だ。らくらくホンだけでなく、文字が大きくなる機種の充実も進んできた。これもディスプレイの大型化、高精細化が寄与していると思う。
そうなれば、大人が楽しむエッセイや小説みたいなモノが、ケータイ向けに書かれるようになっても不思議な話ではないのではないか。
ケータイ小説の特徴は各世代と読む世代が同じである、という点。
このスタイルを崩さずに同じ世代の文章を同じ世代で消費するモデルを、各世代の中で作り出すのも面白いんじゃないだろうか。もちろん良いモノは、違う世代にも積極的に紹介し合っていくことで、より日本語を日常的に、クリエイティブに楽しむ土壌が出来上がっていくのではないだろうか。
Author
松村太郎 Taro Matsumura
ジャーナリスト・企画・選曲。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)。ビジネスブレイクスルー大学講師。テクノロジーとライフスタイルの関係を探求。モバイル、ソーシャルラーニング、サステイナビリティ、ノマドがテーマ。近著に『タブレット革命』『スマートフォン新時代』など。 read more & contact
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