COLUMN | IDEA

Inclusibity, Exclusivity

by TARO MATSUMURA - 2005.02.27 15:17

 Online Social Networks 2005での、『Smart Mobs』のHoward RheingoldさんとNeoteny伊藤穣一さんが語るセッションのレポートが載っていた。ソーシャルネットワークにまつわる1つ軸としてInclusivityとExclusivityという言葉が出てきた。例えばソーシャルネットワークの要素を生かしたサービスを考える際に、この2つのバランス取りが重要になってくる。

・nikkeibp.jp: Webマーケティングの近未来 第28回〜Online Social Networks 2005(その2)  - 2人は、新しいソーシャルネットにおけるお互いのコミュニケーションを潤滑に行っていくためのメディアリテラシーの確立や、オープンなソーシャルネットワークにおいて誰もが参加できるという「Inclusivity」と場を荒らすような発言などのノイズを取り去るというような「Exclusivity」をツールで管理できないか、などの提言をした。

 Inclusivityは参加性。Exclusivityは制限性。矛盾するような2つの要素をうまくバランス取りして活用するというのはものすごく難しい。ケースによってちょうど良い、あるいは効果が最大限に出るというバランスは違うだろうし、同じモノも周りの環境や時がたつとうまく作用しなくなる可能性もある。


InとExのバランスと関係

 ならばある程度ダイナミックに可変させながら扱うべきか? それもまた違うかもしれない。ユーザーがすでにいる状態でどうしてもExclusivityへの影響の方が色濃く出てしまう可能性があるからだ。ユーザーと機能から作り出される性質をきちんと設計しきれるか、予見しきれるか、もしくは(言い方は悪いが)コントロールすることが出来るのか。

 このバランスのコントロールは複雑になりそうだ。ここまで考えてきたとき、InclusivityとExclusivityとが反比例するのではないかと思ったが、blogの普及を見ていると、まだ答えを出すには時期尚早ではあるが、決して単純な反比例になっているわけではないように思えてくる。

この視点で日本でのblog普及を見る

 blogの普及の初期段階では技術的な問題点からInclusivityはとても低かった。だからこそというべきか、Exclusivityは保たれている。文化的な側面もあったのだろうが、割と紳士的な、規律あるやりとりによって緩いコミュニティが成長してきたように思える。日本の匿名掲示板と比較すれば、爆発的な盛り上がりには欠けると言う感覚すらある。

 日本でblogツールによるブログ文化が広まっていったとき、Inclusivityは高まっていっている。そのときに、Exclusivityは下がっていったのか? それもあまりYesではないのではないかと思っている。もちろんblogツールによって出来たのがblog文化ではなくブログ文化ではないか、という僕の意見の上での話だ。

 trackbackとトラックバックの違いについて僕は度々触れてきている。参照や引用を明確にして議論や創発の促進を促すともてはやされたのがtrackbackであるとすれば、スタンプやマーキング的に行われているのがトラックバック。日本でのtrackbackを体験してもらうための様々な試みによって、trackbackからすれば著しくExclusivityを脅かしているトラックバックという流儀が出来てしまった、と見るべきではないか。

 しかし例えblog的にはExclusivityが侵されていたとしても、ブログという新たな文化の上では共通の挨拶みたいなモノになっているとすれば、良い悪いの議論ではなく、新しいExclusivityの基準が構築されたということになる。この新たな基準の構築は意図されていたことだっただろうか。

 ここで無理矢理まとめることは避けようと思うけれど、数少ないこういった、すぐ直前の事例をどう読み解くのか、またどの要素を抽出し、また活用しようとするのか。考えてみたいと思う。

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