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Micro-Content Design - 1週間の100文字生活
by TARO MATSUMURA @taromatsumura 2004.10.26 01:53
それにしても窮屈な経験をしたモノだ。1週間の間、ケータイから書き込むウェブ日記で、1日に何回書き込んでも良いが1回の書き込みで100文字まで、というルールで書いていた。もう僕にとっては窮屈で仕方ない環境。気が済むまで書き続けたいタチなので。ちょっと病気なのかもしれないけれど、それはまた別の話。
何で別の話かというと、そもそも100文字生活をし始めたきっかけは、師匠との議論の中でマイクロコンテンツから派生して、「もしも場所に文字をおくようなコンテンツを作る場合、どのくらいの文字数が適正量なのか?」という話になった。俳句(17文字)なのか、短歌(三十一文字)なのか、はたまた昔のショートメールの文字数だった25文字や50文字なのか。そこでとりあえず100文字をチョイスしたのだ。
100文字というと普通の人はどう考えるんだろう。記述問題で言ったら多い方かもしれないけれど、小論文で100文字なんてちょっと少ない印象もある。1週間で分かったこととしては、僕にとっての100文字というのは、文字数としてかなり少ないモノだ、ということだ。
文章が下手だからか、書き方の好みの問題かもしれないが、1つのことを言い表すときもどうしても文章が長くなってくる。正確に言うと、少し長めの文章の方が書いている自分にとってのちょうど良さ、据わりの良さを感じるのだ。そう考えると100文字なんて本当に短くて溜まらなかった。もちろん、読む側にたっての意見ではなく、書きたい欲求に任せた見解ではあるけれど。
とりあえず自分の中での実験が終わって開放感に満ちあふれた日記を書いたわけだけれど、その直後、クラクラする出来事に襲われた。今さっきblogに書き込んだエントリーのとある段落の半分に、そっくりそのまま100文字日記からコピー&ペーストしてしっくりくるような箇所が2つ出てきたのだ。あんなに不自由で気持ち悪く感じていた100文字という制限が、そのまま使えるようになっている。いったい何が起きているのか。
まあとりあえず今のところ思いついた答えを書いておくと、これがマイクロコンテンツの、新たな1つの妙なのかもしれない。その前に、これまでのマイクロコンテンツの定義については触れておく必要がある。Jakob Nielsenによると、以下のような説明がなされている。
Jakob Nielsen博士のAlertbox: マイクロコンテンツ: 見出しやタイトル、サブジェクトの書き方 - マイクロコンテンツは明快さの結晶でなくてはならない。マイクロコンテンツの説明に使えるのは40〜60文字だ。タイトル、ないしはサブジェクトを見ただけでそのページや電子メールの内容がはっきりわかるようになっていない限り、ユーザは中を開けて見てはくれないだろう。オンラインの見出しに求められるものは、印刷物の見出しに求められるものとかなり異なっている。なぜなら利用形態が違うからだ。<略> こういった違いがあるために、見出しテキストは自立していなければならないし、残りのコンテンツがなくても意味が通るようにしておかなくてはならない。
この引用から重要なことは、「自立していなければならない」という点なのではないか。引用はウェブのユーザビリティに関する視点で書かれているが、これは自分の中の情報単位や情報整理の上でも、当然有効だと思う。
100文字日記は全てケータイから書き込んでいた。時には写真付きにもなっていたが、基本的にはテキスト主体のmoblogということになる。目の前で起きていることや思いついたことなんかを100文字打ち込んではメールでポストしていた。ケータイの入力にあまり不自由がないからこそ出来ることなのかもしれないけれど、大して時間はかからない。
ケータイから文字を打ち込むとき、100文字を超えてしまって文章を削ったりする場面ばかりが「窮屈な印象」として頭に残っている。ところが思い返してみると、そもそもその100文字超の文章をひねり出すという行動は、1つの物事から生み出されるモノだったのではないか。つまりその1つの刺激は短い1文で表される程度のモノだけれど、そこに対して100文字になるまでのボリュームで補足情報を加えたと言うことになるのではないか。
マイクロコンテンツの引用の中では「中身がはっきり分かるような明快さの結晶でなければならない」と量を絞る方向に向いているのに対して、この100文字日記の場合は量を膨らますカタチでコンテンツを保存していることになるのではないか。こんな難しい言い方をしなくても、文脈を一緒に記述したと言うことになるんだけれども。
その文脈とともに記録された刺激がすなわちアイディアという単位で保存されていたために、そのアイディアをそのままblogのエントリーに示唆として貼り付けることが出来たのではないか。こんな推測をしてみた。まあ自分のことを推測しているので、他の人がどれだけこの感覚を覚えるか、予想できるかは分からないけれど、とりあえずの雑感だ。
やめようと思っていた100文字日記だが、やっぱり続けようと思う。でもあまりやっているとまた書きたい欲求が爆発しそうなので、日記をMacからも打ち込むことにしよう。
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