COLUMN
落語との出会い
by TARO MATSUMURA - 2005.02.09 13:13
トーキョーには、寄席があります。定席として寄席が4つもあるのは、世界でトーキョーだけなのです。せっかく恵まれた場所にいるのに、落語の楽しみ方がわからないという声が多いのも今日のトーキョーの悩み事のひとつ。落語の面白さ、楽しみ方などを、私の落語との出会いを交えながらお話しさせていただきます。
笑点は、ちいさい頃から好きでした。日曜日のちびまる子ちゃんの前の時間に、何かマジックやってたり、漫才やってたりするんで、小学生の頃から楽しんでいたんです。大喜利の楽しさに気づいたのは中学生から高校生にかけての頃ですが、ともかく、見てはいたんです。
これは、2年前の春でしたでしょうか、日曜日の午後何気なく笑点を見ていたら、テロップのところに桂歌丸師匠の独演会のお知らせが出ていたんです。好きな歌丸師匠だし、いってみてもいいかなと思って、テロップにでていた電話番号に電話してみました。
この公演は、江戸時代の三遊亭円朝師匠が作った、『真景累ケ淵』という噺を歌丸師匠がやるというものでした。しかし、この真景累ケ淵、すべてやると、6時間以上の大長編なのです。この怪談落語を5ヶ月にわけてやるということでした。びっくりしましたが、ココは家中一の道楽息子、5ヶ月通しのチケットを買いました。ホンモノの芸を、ナマで味わうことに頭がいっぱいだったのだと思います。
初公演、ドキドキしながら聞きました。おじさまやおばさまの間に挟まれて、ステージ上の師匠連(歌丸師匠の前にも何人か落語家さんが出る)の芸を楽しみました。客席と舞台が一緒になる瞬間を体を持ってして味わったのです。客席がいいムードになって、トリで歌丸師匠を迎えました。人々を聞き入らせる話しの組み立て方、時間の使い方など衝撃を受けた点は数えきれません。ともかく、感無量でした。ほかほかした心持ちで家路についたことを覚えています。
歌丸師匠は、このような興奮の時を毎月プレゼントしてくださいました。毎月一度、舞台と客席で歌丸師匠と顔を合わせていたら、テレビの笑点にでている歌丸師匠も遠い存在でないように感じ、更なる親近感、親しみを募らせていきました。ブラウン管のむこうの緑色の着物を着た方に毎月会っているんだぞ、と根拠のない自信すら抱いておりました。
そして10月の最終公演、僕はひとつの袋を片手に演芸場に出かけたのです。これは、お礼の気持ちがカタチとなった、私から歌丸師匠へプレゼントでした。これを歌丸師匠に届けていただけないかという旨を受付のおねーさんにお伝えすると、なにやら電話をかけてお話しをしていらっしゃるご様子。そして、受話器を置いて、僕におっしゃいました。
『師匠の出番までお時間ございますから、どうぞ楽屋へいって直接お渡しください。』
体じゅうから汗が出ました。どうしていいのかわからなくなりました。あこがれの師匠に直接会える。頭が真っ白になり、言われるままに歩みをすすめると、前座(落語家のたまご)さんが舞っていてくださり、楽屋まで案内してくださいました。
『良くいらっしゃいました、ありがとうございます。」
ぼくを迎えてくださった歌丸師匠は、机の向こう側にしっかと構えて、対面の座ぶとんに僕を座らせました。自己紹介をすませ、ともかく、お礼をと思い、これまで5ヶ月間の舞台を楽しませていただいたきありがとうございましたと伝えました。すると優しい表情で喜んでくださいました。あの笑顔の温かさは僕の緊張をもほぐしてくださいました。
せっかくの機会だと自分に言い聞かせ、無い頭をしぼってひとつだけ質問をさせていただきました。
「落語をどのように楽しんだらよいでしょうか?」
この質問に歌丸師匠はさまざまな話しを絡めてお答えくださいました。
まず、耳で聞くこと。落語というのは、演じ手がお客様の想像力を刺激して、お客さんに情景を浮かべながら笑いを楽しんでもらうものなのです。だから、実際の落語家が話しているのを寄席などで生で聞いて、それを味わってもらうのが一番いいんです。ですが、寄席ばかりにいってられない時は、落語のCDやDVDを聞いて笑ったり、心を動かしてもらえたら嬉しい、とおっしゃりました。関西の名人、桂米朝師匠も、面白いことをおっしゃっています。「落語はテレビよりラジオがいい。イマジネーションというか、演者が消えて頭の中で動いてくれないといけない。」目を閉じて聴覚に神経を集中させて楽しむのがいいスタイルなのかも知れません。笑いですから、そんな難しいことになってはいけないのでしょうが。
さて、耳で聞くことの大切さの話しは、噺家の『間』という点に派生しました。落語の楽しみのひとつに、いろんな落語家さんの口調、間合いというものを楽しむことがあるとおっしゃいました。現在、落語に関する書籍や落語全集などの本はたくさん出版されている。それはもちろん喜ばしいことですが、しかし、一度文字になったものを読むというのは、文字を追うだけの作業にすぎないのです。それではせっかくの落語がつまらないものになってしまわないでしょうか。たとえ、名人の語ったものを文字にしてあったとしても、それを読むのは自分なのです。自分のペースで読んでしまうと、落語のもっとも面白い部分、『間』が楽しめなくなり、同時に、もはやそれは名人の芸ではなくなってしまうのですね。
その『間』を含め、落語を楽しむには、寄席が一番なんです。寄席では、落語家が短い出番の中でそれぞれいろいろな話をやっております。その場に行き、多くの噺家を聞き、その中から、自分の好きな人を見つけていただければいいのです。また、落語そのものを好きになっていただいてもよろしいのです。落語というものは、人情をあつかったものから、滑稽なものをあつかったものまで、さまざまございます。寄席で多種多様な落語の噺を聞いているうちに、人情ものに入っていってもいいし、古典ものを気に入ってもいいのです。そのような機会が寄席では提供されているのです。繰り返しますが、一番いいのは、寄席に来て下さることです。来てください。そして、耳で聞いてください。落語は見るものなんです。
このように、わかりやすい言葉で落語の楽しみ方を教えてくださり、『笑いのある人生』というメッセージまでいただきました。それからというもの、歌丸門下の歌春師匠といっしょにご飯に行かせていただいたり、メールで様々なお話しをさせていただいたりするようになりました。また、いまは、落語家さんたちがそれぞれのウェブサイトをもっており、そこの掲示板であこがれの師匠と直接メッセージを交換したりしております。そのようなオンラインでの芸人と客の関係もステキだと思います。
今こうして書いてみると、落語が好きになっていった理由のひとつとして、芸人さん達との距離感の近さがある気がします。楽屋に寄れば、直接会話ができる、メールをすれば、直接返事が返って来るなどと、隔たりを感じさせないファンサービスというか、客を大切にしてくださる心意気が僕を惹き付けているのです。芸や落語だけでなく、その落語家さん自身の人柄やスタイル、さらに言えばその落語家さんを楽しんでいるという気分にさえなってきます。落語は本当に楽しいですよ。みなさんにも落語とステキな出会いをしていただきたいと思います。
Author
松村太郎 Taro Matsumura
ジャーナリスト・企画・選曲。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)。ビジネスブレイクスルー大学講師。テクノロジーとライフスタイルの関係を探求。モバイル、ソーシャルラーニング、サステイナビリティ、ノマドがテーマ。近著に『タブレット革命』『スマートフォン新時代』など。 read more & contact
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