TAROSITE.NET: COLUMN
日本はデジタルデバイドを解消できる?
by TARO MATSUMURA @taromatsumura 2003.10.05 01:19
よくインターネットの話で師匠は インターネット屋が言うインターネットで、例えばADSLとか確かに安いけど、パソコンが壊れただとかウイルスだとか設定が間違っているだとか、面倒な事になるけれど、ケータイならいつでもボタンを押すだけで繋がるように作っている。これが通信屋のやることだ、という話があるが、インターネットとケータイインターネットという構図を考えてみると、もうちょっと社会的なものが見えてくる。もちろん、テクノロジ・オリエンテッドな部分から端を発している部分はあるにしろ。
情報環境と社会に関する視点についてkunikazuクンのエントリーで詳しく書かれており、彼の問題意識に通じる部分が垣間見られるのでチェックして頂ければ。
この環境を踏まえた上で、僕は「日本はデジタルデバイドを解消できるのではないか」という考えを持っている。「インターネットするアメリカ。」とタイトルについているが、インターネットしていないアメリカとのデバイドが問題になって久しい。その後の経過についてまた調べなければならないと思っているが、日本はこの問題を深刻化しなくても済むんじゃないか。もっとケータイに対して開き直れば。
古い話だが分かりやすいので、電話が各家庭に配置された頃から見ていく。各家庭に電話が普及すると、「電話の取り次ぎ」で強化されていたご近所コミュニティが分離し始める。これは核家族化と同じ流でもあるけれど。電話の場所が玄関から茶の間に移動し、コードレス化されると各部屋に分かれ、家庭すら通信環境の上では細分化され、一人一人の個人のモノになっていく。
こう見ると通信メディアの上では、アメリカのように個人個人が独立した存在になっていった経緯が見える。もちろん、本人が気付いているかどうかは微妙だ。もうひとつのメディア、放送メディアで何となく束ねられ続けている感覚は持ちつつの独立かも知れない。そう考えると、放送メディアが限界になっているように見受けられる事や、市民の政治参加の問題まで視野を広げられそうだが、また別の機会に。
話を元に戻すと、通信メディアの上で個人個人に独立した人たちが、ほぼ全員ケータイを持っているというのが現在の日本の(単純化した)姿だ。つまり、年代によってスキルや使い方の文化が違うとは言え、ケータイという共通言語・プロトコルを持っており、同じ窓を全員が持ち合わせていると捉えることも出来る。アメリカではテレビかインターネットか。同じ窓ではないんだから。
この状況をポジティブに使わない手はないと思うのだ。もちろん現在でも様々な分野でケータイを活用していく試みがなされているが、特に教育や政治などの、まだあまり活用されていない分野にも廣く取り入れていくべきではないかと考えている。
今回、Open Research Forumでは、その布石となるような企画を出したいと考えているので、ぜひご覧頂ければ。
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