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Survivality, Sustainability - リアルノマド世代の方針

by TARO MATSUMURA - 2009.12.01 15:57

 昨日の僕の授業の古屋壮太さんのゲストスピーチは素晴らしかった。自分の経験と現在の仕事との関係性、彼のテーマである本から学ぶことなど、興味深いお話が盛りだくさんだった。その後のコーヒートークでの話題。

 古屋くん(@sotacafe)とは2003年頃からのつきあいだ。閑歳の大学に通っていた彼が、Blogを書き始めて、同じくBlogを書いていた僕に連絡をくれたのがきっかけだった。「大学のゼミに遊びに行っても良いですか?」とメールをもらったのがきっかけだった。

 この時点で、パーソナルメディアや個人の情報発信の意味をかなえていることに改めて気づかされる。すなわち、パーソナルメディアは自分あるいは相手の「行動」を作るメディアであり、その伏線あるいはきっかけとなるのが自分が持っているメディア、ということになる。

 昨日の講演の中でも、古屋くんは「面白い本を書いている先生に会いに行くことが出来る。ビジネス書は、いいているヒトが書いている本がほとんどだからだ」と語る。古屋くんにとって、本はBlogの延長、つまり個人メディアとして認識しているのではないか、と感じている。

 そんな古屋君と話をしている中で出てきたのが、「サステイナビリティとサバイバビリティ」というテーマ。ノマディックな生き方を選択している我々にとって、ツールの使い方ではなく、生き方として考えるべき大きなテーマではないか、と感じている。

 サステイナビリティは持続可能性だが、サバイバビリティはなんだろう。生存可能性?ちょっとニュアンスが違うが、どちらかというと危機的状況回避、危機管理能力、みたいな感じだろうか。

 正常な場合、あるいはノマディックな生活が板に付いてきているヒトはおそらく現在の生活にサステイナビリティを感じているのではないだろうか。一方で、不準備だったり、急を迫られてノマド化したヒトにとっては、後者、サバイバビリティとしての生活を強いられているのではないだろうか。

 どちらが良い、悪い、と言う議論ではないし、むしろサバイバビリティが強い方が頼もしくはあるが、出来れば心地よいサステイナビリティを感じる方が、よりクリエイティブで前向きなマインドになるのではないだろうか。

 加藤康祐さん(@kosuk)と議論をしているとき、「ノマディックな生き方をおいそれと後輩には勧められない」という話を良くする。これも、サバイバビリティを確保するまでにある程度の経験やストックが必要だからというのが理由である一方で、サステイナビリティを感じるまでのロールモデルになかなか出会えない点もある。

 そこで、今ノマディックな生き方をしている人たちは、率先して以下の2つのテーマ、

・サバイバビリティの確保の方法
・サバイバビリティからサステイナビリティへの転換

について研究しなければならないのではないか。

 特にサバイバビリティについては、例えばお金、家族、保険、法律や税務、仕事、アイディア、コミュニケーション、マインドなどの初期のセットを考える必要がある。全てが揃うことも珍しいし、それを揃えることを目的にすべきではないが、ある程度のモデルは欲しい。

 その上で、上記に上げたテーマも含めて、サバイバビリティの状態からサステイナビリティを感じる心地よい状況へといかに引き上げていくかを議論する必要がある。どうだろう。

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