IDEA | TOKYOTODAY

これは失恋かもしれない

by TARO MATSUMURA - 2006.09.03 23:14

 失恋すると、だいたい「失恋した」という事実を認識するよりも、失恋したショックを大きく感じ取るような気がする。総じて言えばどちらもほぼ同時に起きることで、結局ショックを強く記憶にとどめていることが多いんじゃないか、ということだ。ある意味、ショックで事実をとらえるというつらいことを和らげてくれるようにも思える。別に僕は専門家ではないけれど。

 例えば何となく予感や直感の類で「失恋した」と悟る方が、ちょっと残酷なんじゃないか。

 僕も今そんな心境の中にいる。

 アイツのことを今でも好きか? と言われると、ためらわずに「はい」と答える。けれども事実を眺めていくと、どうも「はい」という言葉に自信がなくなってきて、しまいには悟ってしまう。これ以上、アイツを好きでいられる自分に先にはない、と。そう思った瞬間に、ぞっとしてくる。好きでいた自分をも、自分で否定しはじめそうになるのだから。

 だからといって、過去を否定する必要はないはずだ。好きでいた自分、それと歩んできた時間は、消えないし、たぶん消すべきではないほどの経験をもたらしてくれた。しかしながら、その素晴らしい時間は、これ以上続かないのだ。そう悟ってしまったのだ。まどろっこしく491文字書いたところで、早い話が、冷めてしまったのである。

 ちょっと美化しているかもしれない。自分から冷めてしまったのに、それを「失恋」だなんて言うのは。自分でも認めたくないけれど、残念ながらそれが事実だ。好きでいられなくなった。自分の気持ちの事なんだけれども、やっぱりどうしても自分でコントロール出来ない部分の話なんだから仕方がない。「仕方がない」で片付けたくないけれど、やっぱり仕方がないことだ。微妙な言い訳で、言い訳としても聞き入れられないし、情けなくて伝えたくもない。

 以前から考えていた。もしかしたら自分のチョイスは間違っていたのではないか? いつもそれを打ち消しながら暮らしてきた。いや、良いチョイスだよ、だってこんなにも楽しんでいるじゃないか。確かにそうだ。今楽しめていることはもちろん貴重だし、それだってかなわない人がいるんだから。けれども、それはそれなのかもしれない。

 では、それは防げたか? すすんで「はい」と答える質問だ。ただし、僕が何とか出来ることと、出来ないことがある。今回はどうにも出来ないところでコトが起きてしまった。たぶんこれも、僕の力不足によるところかもしれないけれど、それを背負うのは今の僕には無理だったのか。冷静に考えれば、残念ながらこれもまた「はい」だったと思う。

 急いでアメリカに電話をかけた。歳はいくつだ?と聞かれた。「26」と答えた。そこで言われたのは「You are so young」だった。「まだまだ若いじゃないか。これからもっといろんなコトがあるんだから、悲しむだけ悲しんで、それに飽きたらまた歩き出せばいいじゃないか」と。すごく暖かい言葉だけれど、これもまた受け入れるのはつらいモノだ。本当に若い、で片付けて良いのかどうか。

 これは失恋かもしれない。ここまで考えて、「これは失恋だ」と訂正しようと思う。そしてそれを伝えようと思う。その方が、アイツにとっても、自分にとっても、先が開けるはずだと思うから。


Author

松村太郎 Taro Matsumura

Taro's Portraitジャーナリスト・企画・選曲。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)。ビジネスブレイクスルー大学講師。テクノロジーとライフスタイルの関係を探求。モバイル、ソーシャルラーニング、サステイナビリティ、ノマドがテーマ。近著に『タブレット革命』『スマートフォン新時代』など。 read more & contact

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