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僕がなぜSFCをフィールドにするか?


by TARO MATSUMURA @taromatsumura 2005.03.24 11:46

 最終回の2回前。このコラムを1年間続けてきた思いの丈、みたいなモノを書き綴った。2年後、5年後、10年後に「今だから言えることだけれど」とふりかえれるようなものについて、今その一端を、たとえ不正確であってもつかむことができるのではないか。そういう示唆が多いのがSFCというキャンパスであって、だからこそフィールドとしてコラムを綴ってきているわけだ。

 3月21日、僕は大阪にいた。大阪大学で行われた電子情報通信学会モバイルマルチメディア研究会が主催するパネルディスカッションに参加するためだ。大阪に行くのがやっと2回目という僕にとってはあまり慣れないことだったので、キチンと調べなければならない。そこで取り出したのはケータイだった。

 経路案内で候補を出してきて、もし飛行機だったらそのまま空席案内を調べてチケットを取って、ケータイでそのままチェックインすることだってできる。結局新幹線で行ったのだが、春から夏にかけて名古屋や大阪に行くことが増えることを考えると、ケータイの上ですべて手配できるようになる便利さはとてつもないものがあると思った。そうだ、使っていなければその機能の意味や利点が見えにくいのだ。では使っていれば意味が見えるのだろうか。

 前回は、これまでの本コラムの内訳をふりかえった。どんなテーマが多く書かれているのか、どんなテーマにトラックバックをいただいたのか。僕がキャンパスから切り取ってきたコミュニケーションはどんな類のものだったのか何となくわかってきたのではないだろうか。

 今回は、なぜ僕がSFCをフィールドにして切り取り続けているのかがテーマだ。それは、SFCには未来のコミュニケーションのスタンダードが、進化を見る前の状態で存在していて、生き続けている可能性があると考えているからだ。

 その話の前に、もうちょっと単純な理由として、地の利がある。大学生時代の4年間、大学院生時代の2年間身を置いてきたキャンパスであったから、というのは紛れもない理由の1つだ。しかしそれだけではないと僕は考えている。SFCは「デジタルキャンパス」として内外から認識されていて、そのインフラの充実ももちろんあるが、インフラの上で生活をしている人が5000人近くいることもまた、理由として考えるべきだと思う。

 SFCでは教室内から池の畔の芝生に至るまで、キャンパスのすべてのエリアが無線LANのスポットになっている。メディアセンターにはインターネットに接続されていてビデオ編集まで可能なコンピュータが数多く設置してあり、学生達も自分のノートPCを持ち歩いてキャンパスへやってくる。パソコンやネット、それに関わるデジタルデバイスやアプリケーションが4年間の生活の中に密着しているのがSFCの特徴であることは、このコラムの始めの方でも繰り返し紹介してきた。

 授業のお知らせは基本的に電子メールで流れてくるし、レポート1本出すにしてもメールかウェブから提出しなければならない。必須科目の体育の授業予約だってウェブ上のシステムにアクセスしなければならないし、サークルの日程調整もメーリングリスト上で行われる。そんなキャンパスである。生活とパソコンやネットとが密接に関係しすぎているため、もはやこれらがなければ生活に困るレベルにまで入り込んでいるかもしれない。

 卒業するために仕方なく、と消極的にパソコンやネットがある生活にコミットする人もいる一方で、多くの人たちが大学という新しい環境に入学するのと同じタイミングで、新しい道具と使い方、その上で展開されるコミュニケーションに好奇心を持って入ってくるし、使いこなすのを楽しみながら生活する様子もまた見ることができる。そしてこれらがすべて、キャンパスを現実世界で共有している学生同士で媒介しながら活用されていくのだ。

 リアルとバーチャルとを上手く行き来しながら、バーチャル側のツールを検証したり使いこなしたりしていく学生の姿があるわけだが、ここで疑問が出てくる。例えばネットに関して言えば、なぜネットのトレンドを作る存在になり得なかったのか。ブログやソーシャルネットワーキングを使いこなしている人、組織、キャンパスではあっても、それを作ったのはSFCの学生ではなかった。アクティブユーザーであっても、クリエイティブユーザーではない。なぜか。

 それはあまりに自然に受け入れすぎた、という理由が考えられる。例えばブログに関しても、実名で毎日インターネット上に文章を綴るという活動について、何がすごいのか、何が今までと違うのか、という点について気付くことなく自然に使ってしまう。冒頭で投げかけた疑問、使っていれば意味に気づくことができるのか、という点について、答えはNOであることも有り得るということか。

 そこに存在している今までとのギャップや違和感というものを解消するところにイノベーションが隠れているとすれば、気付かないのだからイノベートすることができないのではないか。

 1995年頃からSFCで流行っていたウェブ日記ブームでは、2003年から2004年にかけてアメリカから日本に輸入してきたブログに近いことが行われていた。ウェブ日記ブームの下、学生達はこぞって自分の学校のウェブスペースに日記を書いていた。ウェブスペースのアドレスには、入学時に割り振られるログイン名が含まれている。このログイン名は、SFCにおいては学籍番号と同じくらいに個人を表すものである。ハンドルネームを使って書いていたとしても、誰が書いているかはわかるので、ほぼ匿名性はないようなものだ。

 特定される個人が毎日ウェブに日記を書き、友達の(ログイン名に綴られている)ウェブ日記を毎日チェックする。友達のウェブ日記へのリンクは自分のウェブ日記に貼り付けるので、誰と誰が友達なのか何となくわかってくる。サークルのウェブサイトへのリンクも貼り付けているなら、その人がどのサークルに所属している科だって知ることができる。

 また、友達でなくても面白い日記はみんなこぞって読むし、そうやってアクセスが集まった日記を書いている人はウェブ日記キング・ウェブ日記クイーンとして、個人が書く文章ながらみんなが楽しみにするようになる。お互いの日記に出てきた話題について、キャンパスで出会ったときに議論を交わしたりするし、初対面でも日記を読んだことがある人とは、共通の話題をお互いに探ることなく話を始めることができる。

 トラックバックやRSSリーダーやソーシャルネットワーキングサービスといった機能こそ使っていなかったが、その一部をリアルなキャンパスでのコミュニケーションや実際の友人関係に任せることによって、現在日本でもインターネットの個人利用を盛り上げているブログ+ソーシャルネットワーキングを用いたコミュニケーションが、そのまま展開されていたと見ることができるわけだ。

 ウェブ日記の例のように、既に5年前からやっていたことであるにもかかわらず、ブログツールやソーシャルネットワーキングサービスがSFCで初めて生まれたというわけではない。コミュニケーション自体は同じなのでツールやサービスのリプレイスはすんなりと達成できるし、新しいツールで効率化されたことによるコミュニケーションの発展はあるかもしれないが、新たなツールを生み出したり新たなコミュニケーションを生み出したり発展させるエンジンとしては、SFCは機能していない。

 もちろんキャンパスの中にいる人間としてそれはもったいないことだと思うし、SFCが新しいコミュニケーションやツールを作り出す場であってほしいという願いもある。その一方で、現在SFCで行われているコミュニケーションが将来のスタンダードの原型である可能性を広く紹介していくことで、SFCのみならず世の中的に次のスタンダードに少しでも気づくことができるなら、それは有意義なことだと思うし、次のスタンダードを作るきっかけにもなりうるはずだ。

 ならば、2年後、5年後、10年後に「今だから言えることだけれど」とふりかえれるようなものについて、今その一端を、たとえ不正確であってもつかむことができるのではないか。そういう示唆が多いのがSFCというキャンパスであって、だからこそフィールドとしてコラムを綴ってきているのだ。これは自分への提案なわけだが、そういう前提を持ったうえで、40本にもなるコラムを読み返してみてはどうだろう。


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