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Thumbien - 親指族の今
by TARO MATSUMURA @taromatsumura 2004.10.27 11:00
親指族についてのコラムを書いて欲しいという内容のメールをUSCの方から頂いた。自分は明らかに親指族の世代・属性に含まれているので深くは考えたことがなかったが、そもそも親指族という言葉そのものに気にしたことがなかったので、少し辞書的な意味なども含めて調べたり、考えてみることにした。
■ 辞書的定義
・e-Words: 親指族 - 携帯電話で電話・メール・インターネットの機能などを使いこなし、日常生活の一部として高い頻度でこうした機能を利用する若者世代のこと。親指を使って携帯電話のボタンを素早く押す動作から、このように呼ばれるようになった。携帯電話によるメールサービスが開始された際、若者世代が新しいコミュニケーション方法としてメールを積極的に活用するようになり、いつでもどこでも携帯電話で頻繁にメールのやり取りする層が現れた。その後、メールに留まらず、インターネットにアクセスして、交通機関やコンサートのチケット予約から銀行振込、書籍の購入まで、様々なことが親指1本でできるようになっており、こうした機能を積極的に使いこなす層が若者を中心に増えている。
■ そもそもの「親指族」
親指族という言葉そのものはケータイの登場によって初めて出てきた言葉ではないそうだ。名古屋で発祥したパチンコに通い詰めるパチンコファンのことを「親指族」と言っていたそうだ。パチンコをきちんとやったことがないからわからないけれど、最近は親指と言うよりは手首なんですよね、パチンコの仕草を見るに。
■ 親指族は若者世代だけ?
上の定義が書かれたのが2003年10月。このときの記述では「若者世代」と書かれているけれど、コミュニケーションや日常生活をケータイに頼っているのは若者に限らない。例えば主婦もまたケータイを手放せない生活をしている。主婦はパソコンよりもケータイでコミュニケーションを取り合っていて、「主婦の主婦性の再生産」(土橋臣吾氏, 武蔵工業大学)をケータイが担っているという話があるほどだ。
また僕の後輩は祖父にケータイをプレゼントして、さっきもメールのやりとりをしていると言っていた。このように中高年にも少しずつケータイが広まり始め、「何かのために持たせておく」というだけではなくてキチンとコミュニケーションを取るような例も出てきている。
もしも親指族の定義の中で、ボタン操作のスピードの驚くべき早さが大きな部分を占めるのだとすれば、主婦はともかく高齢者がそのスピードに達するのは大変かもしれない。とはいえいつでもどこでもコミュニケーションをとり続けることができる点は変わりがない。
■ 親指の効能
親指で何ができるか、と言う話。電話やメールなどケータイを使ったコミュニケーションは当然の事ながらできる。これに加えてモバイルバンキング(使っていると残高照会だけでも意外と便利なんです)やチケット予約(飛行機はあまり乗らないけれど、映画館のチケットはよくやる)など、i-modeなどのケータイサイトで展開されているサービスは同じようなボタン操作の感覚でこなすことができる。
また電車の中を見るとそこまでコミュニケーションを取っているようにも見えない。ずっとケータイを構えている格好をしているんだけれど、背面にある着信ランプがある一定の周期でぴかぴかしている。ゲームをプレイしていると思われる(音と連動してランプが光るが、マナーモードなので光るだけになっている状態)。
なんだ、と思うかもしれないけれど、これも立派な親指族だ。ゲームも親指をだけでこなすようになったという意味では、今までのゲームパッド無しでの娯楽というスタイルを確立していると言える。
今までのカメラ、デジカメなんかを考えると、シャッターは構えたときの上の面に付いているモノが多く、人差し指でシャッターを切るのが当たり前だった。ところがカメラ付きケータイが登場すると撮影スタイルは、折りたたみ型のケータイを開いてディスプレイで見ながら…、シャッターを切るのは圧倒的に親指だ。
ケータイのカメラがメガピクセル化したときには「ヨコ撮り」という言葉を作って、既存のカメラ撮影のスタイルに近いカタチに戻そうとしていたこともあった。詳しくは「ヨコ撮りによる解決」をご参照。それでもやっぱりケータイでの写真撮影のシャッターは親指、という定番がすっかりおなじみになっていると思う。
ユビキタスがこれからの世の中だ、なんて叫ばれているけれど、ユビキタスなんかよりもモバイルだし、むしろケータイになぞらえて「指来す」なんて当て字をつけた方が良いんじゃないか、とすら思う。そのくらい親指の効能は高まっているのではないか。
■ ネガティブ(?)な実像
さてそんな明るい日本の国民像である親指族。コミュニケーションを常にとり続けるニュータイプだなんて言われているけれど、どうもこの「親指族」という言葉にはネガティブな印象も付け加えられているような気がしてならない。コミュニケーションをとり続ける事への抵抗感や、コミュニケーションをそれこそ親指だけで済ませてしまい、リアルなコミュニケーションが逆に苦手になっている可能性など。
ケータイでの密なコミュニケーションをやったことがない人たちの指摘が多いように見受けられるので、親指族コミュニケーションがどんなモノ高正確に理解して指摘かどうかはわからないけれど。また眼精疲労や筋肉痛なんかも考えられる。さらにこれはお門違いだと思うけど、思考力に影響があるだなんて指摘し始めたらきりがない。
親指族化が原因だとはとうてい思えないけれど、何らかの社会に影を落とすような事件がケータイ世代、ケータイにまつわるカタチで起きた場合、すぐにでも「親指族の弊害、危険」みたいな見出しが踊るようになるのではないか。いつものパターンとはいえ、社会的にそういう見方が存在していることを、同時に示してくれている。
■ デジタルデバイド、デジタル内デバイド
すでに若年層のみならず、全ての年齢層に親指族が広がりを見せているのは間違いない。いまやケータイを持っていれば専用のメールアドレスを持っていることになる。さらにケータイを持っていればデジタルカメラカメラを持っているも言えるようになってくるだろう。ケータイに詰め込まれるモノ増えれば増えるほど、今までは「詳しい人」しか利用し得なかったツールやメディアが広まっていく。メディアの利用機会を広げるという意味ではケータイの役割は日に日に増していくばかりだ。
メールが送りたければメールボタンを押せばいいし、ウェブが見たくてもボタン1つでつながる。もし家のPCでメールを送ろうとしたときには、メールソフトを探さなければならないし、その前の段階でインターネットに接続するところでこけたり、ウイルスで面倒なことになったり、なんだかんだ大変な作業だ。ネット・通信環境をパッケージ化しているケータイは、自由度こそ損なわれているが、ポジティブにとらえさえすれば、デジタルデバイドを超える可能性を持っている。
それにはITはパソコンが基本、という感覚から少し軸足をケータイに移して、ポジティブにケータイが普及している環境をとらえ直す必要があるし、何らかのカタチで世代間、属性感でもケータイによる円滑なコミュニケーションをするためのブリッジが入ることで、ケータイの大化けを更に助けることにならないだろうか。
親指族が発する「なんとなくのネガティブ感」を払拭することは、親指族の進化への1つの道なんじゃないか、と思う。
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