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Nagasaki 60th Hot Day
by TARO MATSUMURA @taromatsumura 2005.08.09 23:38
日本人として、この日のことをキチンと知らないというのは良くないことだ。そう思ったから60回目のこの機会に長崎に来た。1945年8月9日11時02分に、アメリカのB29が広島とは別の型の原子爆弾ファットボーイを投下したのである。本当は小倉を標的にしていたそうだが、天候不良で長崎になったという。長崎も天候不良で、昨晩美味しい食事を楽しんだ思案橋近辺に落とす予定だったが、雲の切れ間があった長崎市街の北部に当たる松山町に投下した。こんな経緯だって今までは正確には言えなかったんだから。
60回目の長崎の日は、昨日にも増して暑い日になった。朝10時40分に滑り込んだ平和祈念公園には、たくさんの人々が訪れていた。日本人だけでない。アメリカ人、ロシア人、アジア系の人達、ヨーロッパからも、たくさんの外国人が訪れていた。そして式典が始まり、長崎市長の60回目の誓い、小泉首相のぶっきらぼうで力なさ気な挨拶、そして11時02分の黙祷と会が進んだ。やはりハッとさせられたのは、被爆体験をした語り部の話。「私達被爆者の使命は、長生きをすることだ」そんな言葉が印象的だった。
平和祈念公演の近くにある中華屋寶来亭で皿うどん(また…)を食べているときに、隣の席のご婦人とその姪っ子と、式典を受けての議論をした。どうしたらキチンと世の中に伝えられるか、世界に訴えられるか。実際に世界のトップを動かせるのか。僕らが中華屋で皿うどんを食べながら議論してもどうしようもないかもしれないけれど、議論していること、毎年式典が繰り返されていることを世の中に発信していくことが必要なのではないか。そんな話をしていた。せっかく長崎市長がいい話をしていても、世界に打って出ていく手段をキチンと持った方が良い。ブログやブログ検索のツールがそう言う使命を果たしてくれるんじゃないか、果たすべきじゃないかと、再び思い直した瞬間でもあった。
原爆の資料館は無料開放。たっぷり2時間くらいかけて1つ1つの展示を見て回った。ここを見て回ったのは実は初めてではない。もっとも、身を置いたのは1回だけで、前は遠隔での見学だったけれど。1999年、2000年と長崎市と藤沢市の平和交流の企画をSFCで手伝った。主に会場設置や進行や映像のスウッチングなんかをやっていたんだけれど、藤沢から派遣された学童が原爆資料館を取材したり、語り部に直接話を聞いたり、そう言った草の根の活動だった。
当時藤沢側にいた僕はピンと来なかったけれど、長崎で実際に「当日」を体験すると、草の根の活動もまた重要なのだな、と感じさせられた。そのくらい長崎の人たちは一眼となって、「当日」を発信しようとしているのだ。ところが、長崎の人たちがどのくらい手応えを感じているのか分からないけれど、目の当たりにする活動の割に僕としては手応えを感じるに至らない。これじゃちょっともったいないんじゃないか、と思うわけだ。何が出来るのか考えてみる良い機会になった。
その後原爆の爪痕が残る長崎の街を散策して、松翁軒でカステラのティータイムを過ごした。これだけ外が暑いのに、どうしてもカステラにはホットコーヒーを合わせたくなるのは僕のコーヒー好きのせいか、カステラのなせる技なのか。甘くしっとりとした時間を過ごした。その後一旦宿に戻ってからまた路面電車に乗って灯籠流しを見学に行った。原爆の日のイベントとしては最後になるであろう灯籠流しは、長崎の少し西洋の風が漂う情緒にぴったりだった。
夜もまた昨日会ったナガノくん、ミツヤスくんと共に皿うどん・チャンポンを食べた。長崎にいる間は本当にこればっかりで良くないですね。それでもついつい食べたくなってしまうんだから長崎の不思議の1つである。お腹もいっぱいになった後に長崎港の方へフラフラと歩いていくと、美女揃いのほろ酔い集団に絡まれる、もとい、ナンパされる、もとい、写真のシャッターを頼まれる。ナガノ君とミツヤス君は呆れて先に帰ってしまったのには多少衝撃を覚えつつも、確かに相手の海苔を考えると理解も出来るというか。…、逃げたな、アイツら。それはいいんだけれども、彼女たちは長崎港で一昨日行われたペーロン競艇のチームだったのだそうだ。楽しい出会いでございました。
その後、宿に帰ってバタンキュー。
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